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ゲーセンで会った女に人生を歪められた話(後編)

前編はこちら
https://note.com/aoicolumn/n/nc661f15f4d49

 話の続きを書き始める前に、これからゲーセンに通うことになるかもしれない未来の後輩達のために、声を大にして忠告しておきたいことがある。

「ゲーセンで出会う女の100%は”普通の女”ではない」

 かなりオブラートに包んだが、誤解を恐れずに言うならばあいつらは「異端者」であり「爪弾きもの」なのだ、当然一筋縄ではいくはずがない。スポーツ・ファッション・グルメ・旅行・インテリア、無限に存在するありとあらゆるホビーの中で「ゲーセンに通う」ことを選んだ女が一般的な思考回路を持ち得るはずがない。誤解しないでほしいが「ゲームが好きな女」ではなく「ゲーセンに通うことを選んだ女」について言及している。それだけゲーセンというコミュニティは特殊であり、人から正常な判断能力を奪うパワーを秘めているのだ。度々ネタとして取り上げられる「ゲーセンの姫」もこれに該当する。これは誇張表現でもなんでもなく、紛れもない事実であることを肝に銘じて話の続きを読んでほしい。

 私の初参加となるギルドのオフ会は、まだ冬の肌寒さが残る4月上旬だった。初参加、とはいうものの高校生の頃からモーニング娘。のコンサートを見るために全国を行脚していた私からすれば、オフ会そのものへの参加は幾度となく経験済みであった。どうやらギルドオフ会の開催は2回目のようで、3月上旬に一度会合していた形跡がコミュニティの掲示板から読み取れた。既に顔見知りの間柄になっているメンバーが多い中、新参として参加することに気後れを感じていたが、それよりも「Mとリアルで会ってみたい」という衝動が私を強く突き動かしていた。

 Mに対してエルメスさん(死語)のような運命的な出会いを求めていたわけでは決してない。純粋に私は彼女とのメールでのやりとりを通じて、彼女の人間性に惹かれていた。当時17歳の人生1周目チュートリアルボーイだった私からすれば、6歳年上の女はさぞ知的に映ったことであろう。同年代の女性とのやりとりでは決して見られない知性や色気を彼女から感じとっていた。私は彼女の虜だった。

 前編でも触れたが、オフ会はセガ池袋GIGOで開催されることになっていた。普段はSNSでやりとりをしているプレイヤー達とのリアルでの接触に緊張していた私は「集合時間の1時間前に到着する」という普段の私からは考えられないような奇行をとっていた。これもひとえに顔見知りのメンバー同士で盛り上がっているタイミングで私が到着するという最悪のシチュエーションを避けるためである。ほどなくしてKも到着した。こいつも私と同じ発想に至り、早めに家を出発したようだった。私たちは緊張のあまり、ゲームをプレイするでもなく筐体の周りをうろついていた。今思えばあやしい高校生二人組だったに違いない。

「あれ、もしかしてキミが◯◯くん?」

 ふいに声をかけられた。呼ばれたのは私のプレイヤーネームではなく本名だった。フレンドで本名を教えていた相手は1人だけ、Mに他ならない。
「Mさんですか?」
 焦ったあまり、相手からの質問に対して質問で返してしまった。これが私と私の人生を歪ませた女、Mとのファーストコンタクトだった。

 Mは6つ歳上とは思えないほど外見が幼く、華奢で小柄な体格をしており、顔は芸能人で言えば声優の小倉唯のような顔立ちをしていた。見るからにサークルクラッシャー検定一級保持者だ。(当時はそんな言葉も存在しなかったが)そんな女がいきなり私の本名を呼んできたことで、私の脳はバグを検出した。自分が特別な存在であるかのような錯覚に陥った。しかしその程度のことは自分の思い上がりであることにすぐに気付かされた。
 Mは誰とでもすぐに打ち解けられる人懐っこい性格の持ち主で、人当たりが良く・人一倍気遣いができて・オフ会の進行もサクサクこなすような人物だった。初対面の人となかなか上手く話せない私とは全く住む世界の違う人間だった。Mは子供や動物を愛し、ゲームやアイドルのオタク文化を愛していた。彼女はギルドのメンバーから愛され、私も彼女を愛する一人になっていた。

 オフ会でMと連絡先を交換した私は、オフ会後も毎日彼女と連絡をとりつづけた。気付けばMとのメールはルーティン化しており、同時に心の拠り所になっていた。次第にMは私にバイトや元カレの愚痴を言って来たり、電話をかけながら泣いたりするような弱い一面を見せるようになってきた。私はというと、その度にMの通っている大学まで忠犬ハチ公のように迎えに行っていた(私の高校からMの大学へは90分以上かかるのだが、我ながら軽快なフットワークであった)私は考えうる地雷を全て踏み抜いてMのことを好きになっていた。
 Mの実家は母子家庭で、母親は病弱であまり働けない様子だった。兄弟もいないので、大学を出たら今のバイト先に就職するとMは教えてくれた。Mの心の支えとなっていたのは飼っている犬と元カレだった。6歳歳下の私が彼女の心の支えになれていたかは分からないが、何か力になりたいと心の底から願いながら大学やゲーセンまで迎えにいっていた。今思えば、私はこの女が原因で「可愛そうな女」を好きになってしまうのだ。

 時が経つに連れ、Mとはゲーセン以外の場所で会うことが増えていった。夕方頃にMが電話をかけてきては、私が指定された場所まで迎えに行く。それは大学近くのカフェ、ファミレス、カラオケと続いていたが、待ち合わせ場所としてホテルが指定されるのにはそう時間はかからなかった。
 小雨が降る中、私は傘もささずに錦糸町駅からバリアンリゾートを目指していた。泣いているMから「迎えに来て欲しい」という電話がかかってきてから、ゆうに1時間は経とうとしていた。私はその当時まだチェリーボーイではあったのだが、ラブホテルに呼び出されるということは、間違えても「三国志大戦のどのデッキが強いか談義」が行われるのではなく、「そういうこと」だと理解していた。

 指定された部屋に到着した私は、入室するやいなや衝撃的な光景を目の当たりにした。Mは血だらけのベッドの上で虚ろな表情で横たわっていた。今でこそ、そういった事象には耐性があるが、17歳のアオイ少年の心に深い傷を残すには十分すぎる惨状だった。当時は2005年、今でこそ一般的な「リストカット」なんてワードもまだまだ浸透していない時代の話である。初めて行くラブホテル。初めて見る女性の裸体、初めて見る大量の血液。およそ15年経った今でも鮮明に思い出せるレベルで深く記憶に刻まれている。
 気が動転しながらも私はMに大丈夫か、痛くないのか、何故そんなことをするのかと尋ねた。Mは私のことが好きだから手首を切ってしまうのだと教えてくれた。何故私に首を絞めてとお願いするのかと尋ねた。Mは私のことが大切だから、それ以外のことを考える余裕を失くしてほしいからだと話してくれた。私の人生はじめての春は6歳年上の彼女でもない女とのリスカ首絞めセックスだった。Mのそれらの発言が原因となり、自傷行為も首を絞める行為も愛情表現の一種だと私の脳にインプットされてしまった。そのトラウマは風化することなく、少なからず現在の私にも影響を与えている。

 Mの腕の包帯を見たからなのか、病んでいるMIXIの日記を見たからなのかはわからないが、Mはまわりのギルドメンバーからもメンヘラ認定され、避けられるようになっていた。彼女と親交が深い位置づけだった私もセットで迫害されるようになり、私達は逃げるようにギルドから去ることを選んだ。それ以来Mとも疎遠になり、Mと楽しく遊んだ三国志大戦もそれ以来遊ばなくなってしまった。2021年になった今でも、私は「可愛そうな女」しか愛せない病にかかっている。ゲーセンに置いてある三国志大戦のデカい筐体を見かけては、当時のなんともいえない苦い気持ちを繰り返し繰り返し思い出してしまうんだ。

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