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ゲーマーの弟子を破門した話(前編)

恥ずかしい話だが、私は「アルバイト」というものを1種類しか経験したことがない。比較的裕福な家庭に生まれたことは紛れもない事実だが、厳格な父からは毎月5千円の小遣いのみが与えられていた。通っていた高校はアルバイトが禁止されていたため、当時練習していたエレキベースの機材費や、ゴリゴリにハマっていたアイドル(Berryz工房)のコンサートを全通するだけの資金を捻出するためには、食費の節制に加えヤフオクのチケット転売に手を染めることを余儀なくされていた。(正当化するつもりはないが当時は当たり前のようにチケット転売が行われていました。ごめんなさい)

大学生の夏になって初めて私は”労働する権利”を親から与えられ、「私の性癖の全てを歪めた女」(この人物についてもいずれnoteで記す)の紹介で、塾講師を始めることとなる。偏差値68以上の大学に通っていたこともあり、履歴書の提出のみで採用が通知された。塾講師のバイトを通して、自分が「他人に物事を教えることが好きであること」そして「自分にはその才があること」を知った。

 私には「効果的に教育をする才能」があった。理由は至ってシンプルで、「私も不出来な生徒だったから」に他ならない。その稚拙な経験に裏付けられたロジックが「私の教える道が登頂への最短ルートである」と言えるだけの確固たる自信が私にはあった。

毎度前置きが長くなってしまい恐縮だが、この話は去年新宿にあるスポーツランドというゲームセンターでストリートファイターⅢ(以後ストⅢ)を遊んでいた際に、一人の高校生に声をかけられて仲良くなるところから始まる。これは非常に珍しいイベントだったので、私の記憶にも強く残っていた。なぜ珍しいのか?

このゲームは既に20年以上前にリリースされた作品にも関わらず、東京の一等地である新宿のゲームセンターに存在することを許される程度には根強い人気を誇っていることは格闘ゲーマーの間では有名な話だ。しかし最近では2Dのドットよりも美麗なグラフィックを駆使した華々しいタイトルがずらりと並んでいるにも関わらず、その17歳の少年は自分が生まれる遥か前に稼働を開始したこのタイトルを選んだのである。この作品の何が少年をそこまで惹きつけたのか。

少年は私に20回ほど負けた後、私が座っている反対側までツカツカと歩いてきて、勝つために自分には何が足りていないのか?とアドバイスを求めてきた。1回の挑戦には50円が必要で、20回ともなると1000円だ。チェーンソーマンの単行本が2冊買える、ビッグマックセットが食える、映画が見られる。高校生からすると大金であることには違いない。私は彼の覚悟に応えるべく、偉ぶることなく彼の問いに真摯に答えた。彼は私のアドバイスを聞きながら、真剣な面持ちでスマホにメモをとるような素振りを見せていた。

この少年は「種モミ」だ、「ストⅢ界の希望」だ、今日より明日なんだ。そう直感的に私は感じた。大切に育てなければならない。すると彼から「自分を弟子にしてほしい」といった申し出があった。若干迷ったが、ここで私は”一生のうちに一度は言ってみたい台詞ベスト10”に入っているワードを口にすることにした。「悪いけど弟子はとらない主義なんだ」

というのも、彼の師匠として私以上の適任者がいると感じたからである。私は闘劇(エンターブレイン主催の全国大会)に出場した経験がないし、クーペレーションカップ(松田氏主催の全国大会)の壇上を強いチームメイトのおかげで経験している程度の実力に過ぎない。そういったバックグラウンドを説明しても、まだ彼は私に教えを乞うのである。私の教え方が丁寧で分かりやすいからだ、と彼は言った。

私はこの種モミくん(仮名)にゲーセンというサバンナに潜むハイエナ(しょうもない勝ち方ばかり狙うおっさんの総称)に対する自衛手段を教えなければならない。サバンナには危険がいっぱいだ。そう、これはライオンキングなのだ。心を鬼にして我が子を谷底に蹴落とさねばならないのだ。そういった強い信念を持ち、私は彼を訓練することに決めたのだが、半年後 私は彼を破門することになる。その経緯はまた後編で話すことにしよう。(さすがに書いてて疲れた)

【後半へ続く】
https://note.com/aoicolumn/n/n4de058e2b572

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