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ゲーマーの弟子を破門した話(後編)

この話の前編
https://note.com/aoicolumn/n/n739a918fced5

 話の続きをする前に、対戦ゲームで遊んだことがない読者に向けて頭に入れておいてほしい前提知識がある。それはゲームにおける「ガチ勢・エンジョイ勢」といった考え方だ。
 端的に言えば前者は「大会等での勝利を目的とした徹底したプレイング」がベースであり、後者は「仲間内、もしくは自分のみが楽しめればそれでよい」といった考え方だ。例として昨今の覇権ゲームであるapex legendsを挙げるが、このゲームに於いてアオイは「エンジョイ勢」である。もちろん3人1チームで遊ぶゲームなので仲間に迷惑をかけない程度のプレイングは心がけているが、戦術面やプレイスキルに関してはさほど突き詰めていない。身内とボイスチャットで世間話をしながら対戦に勝ったり負けたりすることにこのゲームの楽しさを見出している。それに対して「敵の足音や銃声が聞こえなくなるから関係ない話やめて」と注意するやつが居ようものなら、そいつは他のガチ勢と遊べばいい。趣味の楽しみ方は人それぞれなのだ。
 しかし前述した「ストⅢ」に於いてのみ、アオイはガチ勢であった。学生時代は講義を除いた全ての時間(誕生日も年末年始も夏休みも311大地震の日でさえも)ゲームセンターで過ごした。このゲームに学生生活の大半を捧げたと言っても良い。その結果このゲームにおける上位層(トップ層ではない)に食い込めるほどの実力がついた自負がある。それを念頭に入れていただいた上で話の続きを聞いてほしい。

 弟子の種もみくん(仮名)の修行がスタートしたのは、梅雨明けの暑さがまだ残るジメジメとした季節だった。幼い顔立ちをした彼が高校3年生であることを知った私は、修行を始める前に5つのルールを設けた。

①必ず21時半までには帰宅すること
種もみくんはまだ学生なので22時以降はゲームセンターに居られない。彼は塾帰りの20時過ぎに現れることが多かったので、上達するためには90分という限られた時間の有効活用が要求された。

②ゲームよりも学業を優先すること
学生の本分は勉学である。ゲームが原因で学業が疎かになっては本末転倒なので、試験前はゲーセンに来てはいけない縛りを設けた。

③気付き・質問LINEがあった場合は返信する
一度も強制したことはないが、彼にはその日学んだ点や気付きを事細かく文章化して1000文字以上のLINEを送ってくる習慣があった。私も思考の備忘録として文章化することは好きなので、彼の文章を赤ペン先生よろしく添削した上で返信していた。

④金欠の場合は相談すること
彼はアルバイトをしていなかったので小遣いで生活をしていた。対戦格闘ゲームを遊んだことがない人は知らないだろうが「対戦に勝った方のプレイヤーは次の対戦はプレイ料金がかからない」のである。つまり勝者は延々と無料で対戦が可能であり、敗者側が次の対戦の料金を支払い続けるのだ。まだ負けてばかりの種もみくんはいかんせん金がかさむため、私は彼のために筐体を度々レンタルして遊んでいた。(新宿スポーツランドのストⅢは1時間800円なのでみんな遊びに来てね)

⑤「勝つ方法」は教えず「上達する方法」を教える
博打的な防御システム”ブロッキング”が存在するこのゲームに於いて”勝ちをひく”ことはそう難しくない。”勝ちをひく”というのは”10回に1回でも勝てればいい”といった考え方だ。ハイリスク・ハイリターンな行動を繰り返して、どこかで勝つことは理論上誰にでもできる。その道は比較的短く歩きやすい道であるが、山頂までは続いていないルートだ。そんなゲームが遊びたいなら駄菓子屋においてあるジャンケンゲームをやればいい。アオイは、あくまでロジカルにこのゲームを遊びたい。徹底的にリスクヘッジして「10回やれば10回勝てる」遊び方を教えるが、その代償として道のりは長く険しい。

 上記ルールの了承を得た上で修行は開始した。種もみくんの目標は「アオイを倒すこと」であった。良い、とても良い。プレイ歴14年目になる私を倒すことは、いささか難題ではあるが決して不可能なレベルではない。私も同様に、師匠を倒そうという気概がないやつに教える価値がないと感じていた。
 恩着せがましい話にはなるが、私も彼の真摯な態度に応えるべく、彼が金欠のときはゲームを遊ぶ料金は全て支払った。自転車の駐輪代金を出した時もあった。私は彼が使うキャラクター「豪鬼」をあまり使わないので、彼のために埼玉から「斬空波動拳しか打たないのに強い」システムを駆使するハゲの豪鬼使いを召喚したりした。私が彼に求めたものは、遊ぶための時間の捻出とモチベーションのみであって、その障害となるような些細な問題は周りの大人が除去してあげればいいのだ。私が学生だったときも周りの成人プレイヤーに大いに助けられたものだ。当初は私が直接対戦するのではく、他のプレイヤーとの対戦を私が後ろで見ながらアドバイスを行う形式だったが、種もみくんは週に2~3回90分という限られた時間のなかで、着実に上手くなっているように見えた。

 月日は流れ、種もみくんは都内の大学に進学した。高校生終盤は試験などもありゲーセンに来られる頻度こそ減ったものの、定期的に訪れては練習は続けていた。4月はガイダンスやサークルの新歓などもあり、時間の捻出が難しいようだったが、5月に入ってから落ち着いたのか「今日は久しぶりにゲーセンに行きます」といったLINEが私のもとに届いた。まるまる1ヶ月ぶりに種もみくんと修行することになった私は「久しぶりだし、まずはリハビリからだな」などと思考を巡らせながら、ゲーセンへと足を運んだ。この日、師弟関係を揺るがすような発言があるとはまだ夢にも思っていなかった。
 ゲーセンに到着すると、種もみくんはまだ来ていないようだった。彼が来るまで私は野良プレイヤーと対戦をして時間を潰していると、30分ほど経って彼は姿を見せた。「久しぶり、大学はどう?」「サークルに入りました!」などと他愛もない会話をしつつも、彼は私のプレイを横で見ているばかりで暇そうにしていたので彼のために席を交代した。彼は2,3戦ほど戦ったのだが、久しぶりなこともあって当然ながら負けてしまう。ここで問題の発言が出る。

『あ~もう少しで勝てそうだったんだけどな~』
惜しかったね。もうやらないの?
『いや、今日はもう帰ります!』
あ、なんか用事でもあったの?
『特にないですけどw』
金欠?
『いや、バイトはじめたんでお金は大丈夫スw』
体調悪いとか?
『いや体調というか、なんか今の数戦で疲れちゃって』

ツカレチャッテ・・・?
彼の発言を理解するためにまるまる5秒思考が停止してしまった。私は他人の感情の機微を読み取ることが不得意なので、ありとあらゆる可能性を視野にいれた。しかし彼の気持ちを理解するに至らなかった。
 この記事の冒頭にも書いたが、彼が「エンジョイ勢」を目指しているならば、この会話はなんら不自然のない会話である。趣味は好きな時に好きなだけ遊ぶものだし、誰かに強要されるようなものでもない。意気揚々とバッティングセンターまで来たものの、疲れて10球で帰りたくなる日だってあるだろう。ただ「ガチ勢」を志しているなら話は別だ。いわば甲子園での優勝を目指している人間が「疲れた」と数回バッターボックスに立っただけで家に帰る光景を見たことがあるだろうか?そんなやつは一生ボール拾いをしていればいい。などと色々な邪念が思考を遮ってきたので、率直に彼に問うてみた。

えっ「疲れたから帰る」って、上手くなる気ある?テストとか飲み会明けで体調悪いとか仕方ないよ。でもそうじゃないでんしょ?最初「アオイを倒すのが目標」って言っててすごく良いと思ったよ。でもそれ、お前の中でいつ倒せる算段なの?そもそも限られた時間しか出来ないくせに、14年やってる俺に勝つのが目標って、俺の2倍効率よく練習しても7年かかるわけだけど、その辺どう考えてるの?もうほぼやってない俺より練習する時間が少ないって、どの部分で俺に勝つつもりだったの?というか遊ぶのが疲れたなら、横で上手い人のプレイ見るだけでも勉強になることもあると思うんだけどそれもしないで帰る選択をとったわけでしょ?お前の中の「ガチ」って何?こちとら大学ではサークルもゼミも合宿も合コンも行かず恋人も作らず、単位と最終学歴以外の全てを捨ててこのゲームやってんだけど、お前は俺に勝つために何を捧げる覚悟があるの?

と某歌手顔負けなヒステリー癇癪を起こしそうになったが、全てを飲み込んで「きっと僕じゃない人に教わった方が合ってると思うよ。もう僕から教えることはないです」と伝えた。

「そりゃ疲れる時もあるでしょ、厳しすぎるよ。お前のエゴを種もみくんに押し付けるなよ」そう思う人もいるかもしれない。でもそれじゃ「ガチ勢」じゃないんだよ。何年頑張っても僕にすら勝てないようなゴミカスを育成する意味もメリットもないんだよ。
 なぜ何も言わなかったのか?趣味に対して「やる気を出せ」と言うことに意味あるだろうか。趣味は「楽しいから続けるもの」であって「身を削りながらモチベーションをキープするもの」では決してない。私はストⅢをプレイしてきた14年の間で練習していて苦痛だと思ったことは一度もないし、強要されてなにかをやったことも一度もない。このゲームをプレイしていて私は幸せになれた。もしモチベーションがキープできないのであれば、単純に違う趣味を見つけたほうが人生の肥やしになるに違いない。

 「趣味に打ち込む」こと。それはその趣味にどれだけ金銭・時間・情熱を注げられるか、とも言い換えられるだろう。それはその趣味を生み出した人間・競技者への敬意でもある。ダーツだろうが将棋だろうがけん玉だろうが、トップを志す競技者がいる限り趣味に貴賤はなく、たかがゲームされどゲームであると思っている。勘違いしないで欲しいが私は「エンジョイ勢」を否定しているのではなく「ガチ勢の皮を被ったエンジョイ勢」に死に絶えて欲しいだけだ。破門してから種もみくんをゲームセンターで見かけることはなくなってしまった。でもいいんだ、今頃彼はその辺の馬鹿な大学生みたいにカラオケやビリヤードに熱中していることだろう。彼の人生レベルでいえばこんなクソみたいなゲーム(褒め言葉)をキチガイのようにやりこむより、そちらのほうが向いているに違いない。そう思わないとやっていられない。

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