モンテ・クリスト伯感想 26
※ネタバレ含みます
不倫の果て
騒ぎの後、ダングラール夫人は不倫相手のドブレーの元へ。
しかし、ドブレーは居留守。
しかたなく帰宅し、次はヴィルフォールの元へ。
この結婚を阻む騒動をもみ消し、娘が結婚すれば、自身の不倫が自由となる。
アンドレアさえ捕まらなければと、自分の未来だけをあれこれと思い悩み、元不倫相手にその手助けを依頼するという自己中心的な思考。
案の定、ヴィルフォールとのやり取りが面白い。
メルセデスとダンテスのやり取りとの対比が皮肉だ。
こんなところにもデュマのユニークさが出ている。
娘に対する愛情が全くない夫人。
これは自身の恋愛を優先する母親の特徴だ。恋愛に生きたい女性が結婚すると子供が犠牲になる。
男性も同じく人生において恋愛を目的とするのなら結婚はするべきではない。
恋愛に子供は邪魔になるのだから。
子供は邪魔にされるために生まれてきたのではない。
生まれる、生まれないは自分で選べない。
また、子供は老後の保険ではないのだから、
「老後のために結婚する、老後のために子供を作る。」「子供がいない人は老後が大変ね。」という価値観は誤りであると思う。
子供には子供の人生がある。
夫人は、かつて愛した男であるはずのヴィルフォールの憔悴ぶりを目にしても、全く意に介しない。
ヴィルフォールが懇切丁寧に協力できないことを説明しても「助けるべき」の一点張り。
夫人の我が儘を断固拒絶のヴィルフォール。
業を煮やした夫人は過去にヴィルフォールが隠し子を殺害した罪をほのめかす。
さすが検事、それも予測済みだ。
ダンテスとメルセデスとの間に繰り広げられた、あのドラマチックな心理的葛藤とは真逆の面白さがある。
その場にアンドレア捕縛の知らせが入り、二人の会話は終了する。
この章にいくつか面白いキーワードがある。
ヴィルフォールの長台詞だ。
いったいこのわたしを、どういう者とお思いです?法律そのものです。法律にあなたのお悲しみを見る目があるとお思いですか?(中略)法律には命令だけしかありません。(中略)わたしはいつも叩かれました。(中略)自分が過ちをおかしてからというもの、(中略)必ずしもこのわたしだけが醜いものではないという活きた証拠、(中略)この世の中では誰も彼もが悪人です。*1 p.21~23
この場面で、火を吐く勢いでまくしたてるヴィルフォール。
確かに、法律に心は無く、ただ命令だけが存在する。
公平な裁判、誰もが納得する判決には必ず、すぐれた裁判官による「法の解釈」が存在する。
法自体には心が無い。
法を用いる人に心が必要だ。
デュマはそう言いたいのではないだろうか。
しかし、ここでのヴィルフォールは自らの罪に心を蝕まれ、他者の罪を暴き裁くことで、自らの罪が霞むことを喜んでいたと告白している。
冷酷な法そのものであるという自負と矛盾する罪人としての告白。
叩かれてきたという言葉は、どれほど出世し地位と名誉を手にし人が羨む生活を得ても、批判からは逃れられないという社会の現実を表している。
そして、ヴィルフォールの被害者意識と、心に隠した罪による疑心暗鬼をさらけだしている。
罪を犯し震える心を救うのは、他人も罪を犯している自分だけでは無いという事実。
あれほど、堂々としていたヴィルフォールの真実の姿が描かれている。
ダンテスからすべてを奪い去った3人の真実。
すべてを奪い、すべてを手にしても誰一人幸福ではなかった。
常に、犯した罪に怯え周りの人間の視線に怯え、わずかな権力や財産、名誉にすがる人生だったのだ。
深夜の訪問者
生死の境をさまようヴァランティーヌ。
虚ろな瞳に映る亡霊たち。
一方、マクシミリアンの本心を聞き、ヴァランティーヌを救わんと一睡もせずに棚の影から見守る伯爵。
その伯爵が、遂にヴァランティーヌの前に姿を現した。
夢を見ているのかと疑うヴァランティーヌに語りかける伯爵。
確かに、突然部屋の家具が深夜に動き出し、見覚えのある人物が自分の寝室に現れたら困惑するだろう。
しかも、それが謎多きモンテ・クリスト伯爵。
伯爵が「父として。友として。」助けに来たことを伝えるが、ヴァランティーヌは理解に苦しむ。
しかし、「マクシミリアンのため、マクシミリアンとの約束」との言葉にようやく安心する。
4日間の徹夜の番。
夜間に届けられた器の毒薬を捨て、代わりに薬を入れたのだと語る伯爵。
自分を殺害しようとする人間がいることを知り、驚愕するヴァランティーヌ。
信じられないと嘆く。
「誰がわたしを殺そうなんて思いましょう?」※2
心優しいヴァランティーヌ。
自らの心に闇を持たないものは、他者の心の闇に気づかない。
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モンテ・クリスト伯感想
モンテ・クリスト伯の感想です。 1巻から7巻まで、感想と個人的な思索をまとめました。
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