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裸で踊る女の子に恋をした


私は裸で踊る女の子に恋をした。それは所謂、恋愛感情ではないのだが、彼女に対する私の感情を表現するときにそれ以上に適切な言葉がない。彼女はストリップ劇場で踊る踊り子だった。彼女に出会ったのは、私がストリップ劇場に行くようになって二回目の時だ。元々興味があったストリップ劇場に、初めて友人と共に行き、噂通りの美しさに圧倒された。風俗でありつつ、エンターテインメントショーであるストリップは私にとって魅力的なものだった。

「今日はすごく人気で可愛い子が出るらしいよ。話で聞くと、葵さん好きそう」と、事前に色々と調べてくれた友人に連れられて、神奈川県の大和ミュージック劇場に行った。穏やかな空気が流れる大和駅から歩いて数分のところにある大和ミュージック劇場は、趣のある看板が目印の古い劇場だ。急な階段を上り、狭い受付でチケットを買って、劇場内に入ると、高い天井の部屋に、広めの本ステージと長めの花道がある。その花道の先には盆と呼ばれる四角のステージがあり、それを取り囲むように座席がある。座席数は五十もない程度の小さな劇場だ。そこで、彼女と出会った。

パステルカラーのシフォンの衣装を身にまとった、黒髪ボブの女の子。流れている音楽は「君と恋がしたい」というような歌詞だった。表情の読み取れない人形のような顔と、すらりと伸びた手足が美しく、独特のリズムで踊るダンスは、不思議な浮遊感があった。

踊り子本人たちはよく「ストリップは自由だ」と言う。ストリップ劇場では、基本踊り子本人たちが選んだ楽曲で、ダンスを踊る。選曲も様々だが、その中でも彼女の選ぶ曲はいつも、独特の世界観の楽曲が多かった。ストリップ劇場であまりに聴かないような楽曲で、ふわふわゆらゆらと踊る彼女は異質な存在だった。

パステルカラーの衣装のあと、白いセーラー服姿で登場した彼女は、花道を歩いて盆の上に立つ。音楽は恋の歌だった。この曲は、教師に恋をして、親密な関係になる生徒の心を歌った曲だ。それに合わせて、白いセーラー服を脱いでいく彼女の姿はひどく背徳的で、とてつもなく美しかった。
白いセーラー服を着た少女が、卒業証書を連想させる賞状筒を持ち、それを開けると中から、桜のようなピンク色の花びらと、同じ色のリボンが出てくる。彼女はその花びらを、ふっと飛ばし、リボンを小指に絡める。それは見たことないほど、美しい光景だった。私は春の終わりの化身のような彼女に一目惚れをしたのだ。暗い劇場の中で、白いセーラー服を脱ぎ、白いリボンを首にかけた姿で、ピンク色の照明を浴びながら、空中をぼんやりと見つめる彼女は、私が出会ったことのない美しさと儚さを持っていた。

ストリップ劇場にはポラといって、客が劇場のデジカメで踊り子の写真を撮り、印刷した写真の裏にメッセージを踊り子が書いて渡してもらえるという文化がある。アイドル文化でいうチェキだ。
彼女に一目惚れした私は、友人に背中を押されながら、そのポラを彼女にお願いした。ストリップ劇場でポラをお願いするのは初めてだったので、緊張しまくる私と、何故か緊張している彼女は嚙み合わず、私はポラの手順すら理解出来なかった。ポラで撮った写真が誰のものか分かるように、順番を残すために記入するボードに、本来はニックネームを書いたりするところ、飲食店の順番待ち表に記入するように、苗字を書いたのは良い思い出だ。
それから沢山彼女の写真を撮り、彼女からメッセージを貰ったが、「〇〇(苗字)さんへ」と書いている最初のポラを見ると、恥ずかしくも懐かしい気持ちになる。それが4年前の春のことだった。

彼女に出会い、彼女に恋をして、ストリップ劇場に通うことは私の生活の一部になった。彼女はとても人気者で、渋谷、池袋、大和、大阪、と多くの劇場に呼ばれ、彼女のステージはいつも満員だった。私は関東の劇場に立つときは、必ず足を運んだ。友人と一緒に大阪まで見に行ったこともある。事前に伝えてもいなかったので、大阪の劇場で、ステージに登場した彼女が私を見て、驚いた顔をしたあと、笑顔を向けてくれたのは一生の思い出だ。

ストリップというジャンルは、演者と客の距離がとても近い。劇場に行けば、すぐ近くでステージを見ることができ、自分でアイドル本人の写真を撮流ことができるポラタイムには、短時間であるが直接話すこともできる。ストリップの客、通称スト客は、ツイッターのアカウントを持っている人が多くで、そこで踊り子と交流することも少なくない。
昔から手の届かない芸能人のファンをしている私にとって、その環境は贅沢すぎて、良いことも悪いこともどちらもあった。良いことでいうと、彼女は踊り子の中でもあまり、積極的にツイッターで交流したり、反応をするタイプではなかった。でも、ときたま、私が彼女を褒めちぎっているツイートをいいねすることがあった。そのたびに、嬉しくて恥ずかしくてソワソワした気持ちになってしまう。

また、仕事終わりに帰宅ラッシュに巻き込まれて、へとへとで劇場に辿り着くと、彼女のステージは終わっており、見たい演目を見られなかったことがある。悲しくて泣きながら友人とラーメンを食べ、それを友人がツイートした。
そのあと彼女に会いに行き、「ラーメン美味しかった?」と微笑まれて言われた時は、どきりとした。私は何もツイートしていなかったが、私の友人のツイートを見て、私が彼女のステージを見れずに泣いていたことも、めそめそしながらラーメンを食べていたことも彼女は知っているのだと思うと不思議な気持ちになった。出番の合間にわざわざ見たのかなとか、私のことを気にしてくれたのかなと思うと、他の現場では感じたことのないドキドキがあった。

彼女は顔が可愛く、色が白く、手足が長くてスタイルが良かった。そして、なにより独特の雰囲気を纏っていた。話すと少し変わった女の子ではあったが基本は普通の女の子なのに、ステージに立つと、誰とも違う空気を纏っていた。彼女のパフォーマンスは、儚く、美しく、どこか切なく、心地よい浮遊感があった。多くのファンがその独特の魅力に惹かれ、とにかくファンは多かった。でも、彼女は常にフラットで、誰かを贔屓することもなく、常にスト客とは一定の距離を保っていた。そういうところも、とても好きだった。彼女は媚びたりせずとも、圧倒的な人気があった。

彼女は服を作ることが好きで、いつも自分の衣装を作っていた。既製品とは違う、彼女が作ったと一目で分かる美しい衣装は彼女の神秘的な雰囲気を増長させていた。私が特に好きだった衣装は、紫陽花がモチーフの演目で、アップにした髪に紫陽花のかんざしをつけて、水色と青色と紫色の着物のようなドレスの衣装だ。紫陽花の妖精のような姿が本当に美しく、初めて観たときに美しすぎて涙が出た。衣装を褒めちぎると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。あまり感情表現をするタイプではなかったので、私はいつも彼女の心に響いているのだろうか、と疑問に思いながら、直接演目の感想を伝えたり、手紙で彼女のパフォーマンスや演目、衣装を褒めちぎっていた。それに対する彼女のレスポンスはほぼなく、それで私も満足していた。私が彼女を初めて見た白セーラー服の演目が大好きであるとよく伝えたのを覚えている。

普通のアイドルとファンの距離感なら、ステージの上の人からレスポンスが返ってこないのが当たり前だ。しかし、ストリップという界隈で、女性の客というのは踊り子にかなり贔屓をされるポジションだった。客の九割が男性の界隈で、女性というだけで覚えられるし、チヤホヤされる。それを好んでする踊り子もいたが、彼女は女性客でも特別贔屓することはなかった。でも、たまにポラの裏に手紙の返事がきて、「あーちゃん(私)からもらうお手紙読むと、自分がお姫様になった気持ちになる。嬉しい」と書かれていて、やはりきゅんとした。
ストリップは風俗ではあるが、触れることはできないし、客の大半は踊り子をアイドルだったり、天使だったり、女神だったり、リアルに恋をする女性だったり、様々な感情で見ているように思うが、どれも恋や愛に満ちているものだったと思う。愛憎ももちろんあった。楽しいだけではない仕事であることはよく分かっていたので、出来るだけ健やかにいて欲しいといつも思っていた。

ある日、彼女が唐突に休業することになった。出番の週の途中で降板になった。病気で療養が必要とのことで、どれくらいの休業になるかも分からなかった。その日から私はストリップ劇場に行けなくなってしまった。踊り子という仕事は、十日間を一週として、劇場での出番がある時は十日間休まず働き、二週連続になった場合は、二十日間休みなしで働くことになる。その分一カ月の休みになることもあるが、なかなかにハードで体力が必要な仕事なのだ。そのため、数年で辞める踊り子も多い。スト客は、ストリップそのものを愛している人が多く、推しを掛け持ちする人も多い。推しが突然辞めても、別の子を見にいくのが普通だった。私もストリップというコンテンツが大好きで、好きな踊り子はたくさんいた。でも、もう彼女のステージを見ることが出来ないかもしれないと思うと、ストリップを見にいこうとは思えなかった。私はストリップとは縁のない生活を送るようになった。

約半年ほど休業し、彼女の復帰が決まった。寒い二月の彼女の復帰初日、仕事を半休にして、池袋の劇場に向かった。花はたくさん貰うだろうし、療養中に太ったと言っていたので、食べ物をプレゼントするも気が引けた(ストリップは基本なんでも差し入れすることが出来る)。久しぶりのステージで疲れるだろうし、ゆっくり休んで欲しかったのでLUSHのバスボムと手紙を準備した。復帰した初日、最初の演目は、私が大好きなセーラー服の演目だった。春にはまだ遠い、二月下旬に見る白いセーラー服を着る彼女は、私が恋をした大好きな女の子だった。その時、もう一度彼女に恋をした。

初めて見たときの彼女は胸の下にある手術の痕を隠すように、ブラジャーの布をくり抜いたワイヤー部分だけを付けて、ステージで裸になっていた。私が出会ったのはその胸の手術の直後だったのだと後から知った。裸になる職業で、胸という女性としても、踊り子としても、象徴的な部分に傷が残り、それを隠す彼女は愛らしく、切なくて、美しかった。しかし、次第に傷跡を隠すブラジャーを付けなくなり、自信に満ち溢れた彼女はどんどん美しくなり、少女から大人の女性になっていた。その時、彼女と出会って、二年が経っていた。

出会った時のあの演目よりも、ずっと自信に満ちた美しい演目を見ることができて、本当に幸せだった。女の子に恋をするあったかい気持ちも、大好きな人が突然お休みしてしまう恐ろしさも、大好きな人が病気になってしまう苦しさも、大好きな人が復帰してくれる緊張感も、全部彼女が初めてくれた感情だった。
劇場に入ると、ステージに立っている彼女が私を見つけて、キスを投げてくれたことも、プレゼントしたバスボムをその日に使って写真を上げてくれたことも、チップを渡すと「お金なくなっちゃうよ」と困った顔をしてくれたことも、あまり大きくない胸でチップを挟もうとしてくれたことも、妹と彼女を見にいって、「姉妹仲良くて羨ましい! 私も姉妹になりたかった!」と言ってくれたことも、妹へのメッセージに「お姉さまによくして頂いております」と書いてくれたことも、「今同じ髪色だね」と顔を寄せて言ってきたので鏡を見ると全然違う色だったことも、ストリップ初体験の友人を連れて行くと「お友達を連れてきてくれてありがとう。お友達に」と私も貰ったことない入浴剤を友人にプレゼントしてくれたことも、連日劇場に通うと「来ちゃった? いた~って嬉しくなったよ」と言ってくれたことも、花が好きな彼女に演目出てくる桜にちなんで、桜の枝の花束をプレゼントしたら「大事に大事に育てるね」と桜を抱き締めてくれたことも、私がセーラー服の演目を好きなことを知っている彼女が「見れてよかったね」と微笑んでくれることも、インスタグラムに私のプレゼントしたドーナツの写真を載せて「夢いっぱいすくすく育っちゃいますよ。美しいひと、ありがとうございます」と書いてくれたことも、彼女がつけていた綺麗な宝石が付いたブレスレットがちぎれ、それを拾って「あげる!」とくれたことも、「世界一可愛かったよ」と言うと、「それはない、さすがに!」と強めに否定されたことも、全部が初めての経験だった。
狭い劇場の低いステージで踊り、会って話せるから彼女が好きなのでなく、たとえ彼女が東京ドームのステージで踊り、私が天井席だったとしても、ステージを見に生きたいと思えるほど彼女が好きだった。そんな相手から、プレゼントしてもらえるたくさんの「はじめて」は、全て私にとって一生の宝物になった。

彼女が復帰して一か月程度経ち、彼女は順調にステージに立ち続けていた。ホワイトデーの日、彼女が手作りのチョコレートを配るというので、プレゼントを持ち、いそいそと劇場に行くと、彼女は美しいペルシャ猫の演目をしていた。そのパフォーマンスの素晴らしさと、猫の可愛さに、幸せいっぱいになり、褒めちぎりながらホワイトデーのプレゼントを渡すと、彼女から手作りのチョコレートを貰った。好きな女の子の手作りチョコだ、と少年のような気持ちで喜んでいると、「この後まだ居る? 渡したいものがあるけど良い? 邪魔じゃない?」と言われ、どういう意味なのか理解できず、「いいよ」と答えた。次の回、彼女に会いに行くと、彼女は「いつもありがとう。これ可愛いと思って」と紙袋を渡してくれた。彼女からプレゼントをもらうのは初めてだったので、意味が分からず、困惑したままお礼を言って、劇場を出た。友人とカフェに入り、開封すると、中身はアンティーク調の鳥が描かれた皿だった。「皿……?」と思わず、首を傾げた。推しに皿を貰った人間は、世界で私ひとりではないのだろうか。私も彼女も皿が好きというわけでもない。一枚の皿を人に贈りたく時はどんな時なのだろうか、と本気で悩んだ。皿を人に贈るという行為は、結婚式の引き出物くらいしか浮かばない。二年ほど彼女の元に通い続け、かなりの頻度で会っていたが、彼女が何を考えているのかは、全く分からなかった。でも、そういうところもとても好きだった。友人は「なんで皿かは分かんないけど、彼女っぽいし、デザインは葵さん好きそうじゃん」と言ってくれた。デザインはとても素敵だったが、なんで皿なのだろうかという疑問が頭を占めていた。でも、とにかく私は大好きな女の子から皿を貰った幸せな人間になることが出来たのだ。

後日、手紙にチョコレートと皿のお礼を書き、皿を贈ってくれた理由をやんわりと尋ねると、すぐにポラ裏で返事が来た。普段は写真の裏に直接短いメッセージを書いてくれるが、別のメッセージ用の紙に書いて、それを写真の裏に貼ってくれていた。そこには、「どうしてお皿かというと、かわいいデザインのものが目に入り、お皿ならたべものにでも、ものにでも、何かにつかえるかなぁと思ったからだよ」と書かれていた。理由を聞いても、いまいちしっくりはこなかったが、それ含めて彼女らしくて愛おしかった。ステージを降りてから私のことを考えてくれて、わざわざ選んで買ってくれたことが本当に嬉しかった。

彼女からもらったお皿の上に、彼女が作ったチョコレートを乗せて食べた。なんて幸せなオタクなのだろう、としみじみ思った。彼女は他の踊り子に比べるとファンサービス的なことをする人ではなかったので、自分は彼女にとても好かれている、なんて自意識過剰なことは考えていなかった。でも、その時初めて、もしかしたら、私はとても彼女に愛されているのかなと思った。彼女を傷つけたり、追い詰めるようなファンでなければ、どう思われていても良いと思っていたが、やはりこうやって、あなたは特別なのだと行為で示されると、驚くほど嬉しくて、舞い上がってしまった。こんなにも直球で愛情表現をされたのは初めてだったので、そのあまりの嬉しさと愛おしさに、改めて彼女のことを好きになってしまった。彼女の言動の一つで、私が一喜一憂していることを彼女はきっと知らない。ただのお皿でこんなにも喜んでいるなんて、きっと彼女は考えてもいないはずだ。幸せな片思いをしているようだった。

彼女からもらったたくさんの「はじめて」は全て特別な思い出で、思い出すだけでも幸せな気持ちになる。それと同時に、初めてのお別れを経験させてくれるのも、彼女なのだろうとぼんやり思っていた。

三月、彼女の周年のイベントがあった。ストリップというのは周年をとても大切にし、盛大にお祝いをする。彼女と初めて出会った大和ミュージック劇場で、彼女の周年作の演目を見た。それが今まで見たどの演目よりも美しい演目だった。真っ白なドレスを着た、深緑色の髪をした彼女は、大きな花冠を体に身に着け、手足に蔦を絡ませ、宙吊りしたエアリアルフープに乗って、ポーズを決めた。森の女神のような植物そのもののような、神秘的な姿が美しすぎて涙が出た。一部の踊り子がするエアリアルフープという技術がある。宙吊りしたフラフープのようなフープに乗り、遠心力や体幹で、踊り、ポーズを決める。かなりの技術と練習が必要な人気のあるパフォーマンスのひとつだ。彼女がエアリアルフープをするのは初めてだった。復帰して数か月で、なお進化しようする彼女が、踊り子として、人としてかっこよくて、本当に好きで良かったと思うことが出来た。構成も、衣装も、ダンスも、全てが彼女をより一層美しく見せ、自分の武器を理解している彼女らしい演目だった。彼女が作る演目は、彼女の独特の魅力があって成立するものばかりだった。そのひとつの完成形がこの周年作だった。彼女のこれからを楽しみにしていていいんだ、と安心できた気持ちもあった。彼女がステージに立ち続けてくれる限り、応援したいと思えた幸せな周年だった。

その数か月後、彼女は再び、療養のため休業した。彼女からツイッターで病名と、回復して戻ってきたい、自分が戻ってきていいのかわからないけど、もし待っていてくれるなら嬉しい、という旨の言葉が発信された。彼女の病気は完璧に完治するか分からず、治療で上手く付き合っていくような病気だった。私は病気について調べ、その病気の人の傍にいる人たちの言葉を見漁った。友人でも家族でもない私に出来ることなんて、ひとつもないが、彼女を見守り、彼女が戻ってくるのなら、それを応援したいと思えた。彼女が病名を発表したことで、合点のいくこともあった。

彼女は夜中に突然、「しにたい」というような言葉をツイートすることが時々あった。私は彼女のツイートを通知設定している上に、深夜まで起きていることが多いので、それをリアルタイムで見ることが多かった。何も出来ないが、ツイートするということは、何かしら発信したい、反応が欲しい、と様々な理由があるのかもしれない。せめて反応だけもしたいと思い、ツイートをいいねすることもあった。彼女はツイートしては消す、を繰り返すこともあった。「しにたい。たすけて。くるしい」というような言葉を発信したこともある。私は慌てて、彼女にダイレクトメールを送った。彼女からは、落ち着いた、ありがとう、というような返事が返ってきて、ほっとしたこともある。彼女のプライベートのことも、病気の辛さも分からないが、大好きな女の子が深夜にひとりで苦しんでいるのを見るのは辛かった。代わってあげたい、と本気で思った。恋人でも、友人でも、家族でも、彼女を救ってあげて欲しかった。ファンの無力さを噛み締めることが多くなった。

その出来事の中で救われたこともあった。彼女が休業を発表した深夜に「応援するって、会いにいくことしか出来なくて、プレゼントあげたり、お手紙をあげたり、ステージ見たりは全部自分がやりたくてやってることで楽しいから幸せなんだけど、踊り子さんが幸せに健やかに過ごせるために出来ることなんて何もないんだよなぁと思う」とツイッターで呟くと、私が彼女を応援していることをよく知る、仲良しの大好きな踊り子の方が「ファンの人が無力だなんてそれは嘘だなー。私は全然綺麗な人間じゃないからこそ、これは綺麗事じゃないと断言できる。暗転即死不可避みたいなアウェイの客席に、私を見に来てくれた笑顔ひとつあれば即息を吹き返せるし、もうやめようかなと思う日に限って、明日○○さん(その踊り子さん)観に行けるから仕事超辛いけど、頑張ろうみたいなツイートみつけちゃうし、やっぱり今日こそ行けない無理だって逃げ込んだ喫茶店でお財布開いたら、入れっぱなしにしてた『推しが尊い』って手書きで書いてあるポチ袋出てくるんよ。いやわかるよ。言ってることは。推しの病気治したり、推しの生活全て支えたり、推しの仕事を社会的に悪ではないと国に認めさせたりは出来ないかもしれないけど、絶対に無力ではないですよー。あなた方が推しを生命維持装置と思うとき、また推しもあなた方をそう思っているのである。いやわたしは何側のだれ。わからなくなってきました。深夜だね」と長文を書いたメモを貼ったツイートをした。それを見て、私は号泣してしまった。その人は、いつでも観客に寄り添ってくれるような演目を作る、とても優しくて可愛い人だった。私はその人の演目を見るたびに、その人の愛情深さや優しさに泣いていた。その人の言葉は私だけに向けられたものではなかったかもしれないが、間違いなく、私の無力感に寄り添ってくれた言葉だった。翌日、その人が立つ劇場に行くと、「ごめんね、なんか呼んだみたいになっちゃって」と私の気持ちを全て理解してくれてるように笑った。「大丈夫だよ、きっと」と言ってくれたその人の言葉があたたかくて、その人の演目もやはり愛に溢れていて、劇場でも号泣してしまった。

演者と客の距離が近すぎるストリップという世界で、踊り子に近いのに何も出来ない無力感を味わい、近いからこそ踊り子の優しさに救われた。こんなことも経験するのは初めてだった。こんなことがあったこともきっと彼女は知らない。彼女を救うことが出来ないことに泣き、それを別の人に救われて泣いたことも、彼女には知って欲しくない。私の一人相撲でいいのだ。彼女が健やかにいられるのなら、それだけでいい。

それから彼女の治療は順調に進んでいるようで、ツイッターで見る近況報告は快方に向かっているようだった。特技の衣装作りに没頭しているようで、販売する衣装を制作したり、仲の良い踊り子の衣装を制作していた。

彼女が休業している間、初めてストリップ劇場に一緒に行ってから、ずっと一緒に劇場に通っていた友人の推しの踊り子が引退した。友人は本当に足繫く劇場に通っていた。岐阜にある劇場までひとりで行くという強火オタクだった。友人の推しのファンの中で、俗っぽい言い方をすると、トップオタの一人だった。友人と友人の推しは本当に趣味が合い、友達のようだった。また、友人は、真面目が故に余裕がなくなることもある友人の推しが甘えられる存在のように見えた。激情をそのまま演目にしたような友人の推しのステージは圧巻で、唯一無二の迫力と熱量が合った。
その友人の推しが引退する週、友人は毎日劇場に通った。引退する日、超満員のステージで、友人の推しは活き活きを踊っていた。その姿は清々しく、強く、美しかった。その潔さに感動して何度も涙が出た。

一日四公演の中の三公演目、とある漫画をモチーフにした人気の演目を友人の推しは踊った。特注の禍々しいほど美しい着物を着た友人の推しは、死神に扮して客席を魅了した。その演目は友人と推しとの縁を象徴するようなものだった。引退日にやっぱりこれをやるんだと納得できるものだった。その演目のラスト、友人の推しは小道具の死神をイメージしたのであろう髑髏がついた髪飾りをステージの上から、最前列に座っている友人に手渡した。私はその時の友人と推しの横顔を一生忘れない。推しとファンがこんな風に美しく繋がり、美しく終わることがあるのかと感動して涙が出た。私はそれを真横で見ていたので、友人も推しも見ることが出来なかった、ステージの上と下が繋がる瞬間、二人きりの世界になる瞬間を見たのだ。その時、ストリップとは、推しとファンとは、なんと美しいものなのかと心が震えた。あんなにも美しいファンサービスという名の愛情表現をもう二度と見ることが出来ないと思う。
友人の推しの引退日は素晴らしい一日になり、劇場を出てから涙を流す友人を抱き締めた。劇場の外では、他のファンの人たちも満足げな顔で話していて、幸せな光景だった。友人と分かれ、帰路についてから、ぼんやりと私は彼女とこんなに美しい終わりを迎えることは出来ないだろうなと思った。

ストリップの引退は劇場を上げてお祭りにするので、引退興行はとても盛り上がる。しかし、全員が引退興行を出来るわけではない。いつの間にか辞めてしまう踊り子も少なくない。引退するときに華々しく引退興行が出来るだけでも、素晴らしいことだった。彼女は引退するとき、ちゃんとお別れをさせてくれるのだろうかと思ってしまったのだ。

休業して数か月後、彼女は復帰した。久しぶりに見る彼女は相変わらず可愛くて、元気な姿を見ることが出来て安心した。しかし、彼女のステージを見て以前のような高揚感は得られなかった。演目によって感じるものは全く異なるので、刺さる演目ではなかったのだと思った。しかし、別の踊り子の演目に感動することはあっても同じような感動を彼女の演目から得られることはなかった。好きじゃなくなるのはそっちの落ち度だぞ、と某芸能人が言った言葉が好きだった。客が演者に対して自分好みになれと言うのは愚行でしかない。彼女のことが好きな気持ちも、彼女の幸せや健康を願う気持ちにも変わりはなかったが、彼女の演目に感動することが出来なくなっていた。それでも、ファンで居られるという人はいるかもしれないが、私はパフォーマンスが好きだからこそ、ファンでいたいと思えるので、この感情は不健全だと思うようになっていた。

復帰して彼女は自分を解放しようするかのように、コミカルな演目をやり始めるようになった。パンストを被ったり、ステージの上で仲の良い踊り子とコミカルなことをする彼女を見て、私は楽しむことが出来なかった。あれだけ好きだと言っておきながら、結局は理想の女の子像を彼女に押し付けていただけなのだと気づき、自己嫌悪に陥った。
彼女のファンで年配の男性の友人は、コミカルな演目を見ても楽しく笑って満足していた。それがとても羨ましく、その器の大きさに嫉妬した。彼女のことを神聖視していた私は変化に対応出来なかった。ファンならば受け入れるべきと考えると、それが出来ない自分は正しいファンではないように思えてしまい、苦しくなり、彼女が立つにも関わらず、劇場に行く回数が激減した。見るたび落胆するのが嫌で、そんな器の小さな自分が不甲斐なく、見るのが怖くなった。彼女が一人でステージに立つときは、変わらずに可愛く美しい演目を見せてくれたので通ったが、彼女の友人の通り子と一緒に演目をする時はコミカルなことをするので、見ないようにしていた。それを笑って楽しめる度量がない自分が嫌になった。

彼女の周年のイベントが行われた。劇場内に入れないほどの超満員の池袋の劇場で、彼女の周年のイベントのために友人と必死でステージを見た。周年のための新作が二つあり、一つは彼女らしい気品のある美しい演目で、もう一つは彼女が新しいことにチャレンジしようとしているのが分かる演目だった。周年イベントでは彼女の友人の踊り子が司会をしてイベントを進行した。息が出来ないほどの超満員の劇場で彼女の新作とイベントを見て、残ったのは疲労感だけだった。そこで見た別の踊り子の演目があまりにも美しくてそれを見て号泣してしまった。泣いた理由は大好きなその踊り子の美しさと、演目の素晴らしさ、そして、私は彼女にこんな踊り子になって欲しかったのだと気づいたからだった。その踊り子は一度休業してから、復帰して精力的に活動し、演目はいつもいろんな世界を見せてくれ、途轍もなく美しく、儚く、女神のような女性だった。

好きな人に自分の理想を押し付け始めたら、オタクは終わりだと思っている。彼女にそれをぶつけたことは一度もないが、そう思い始めている自分が情けなくて、悲しくて、涙が止まらなかった。変化を愛すことができなくて、ごめんね。理想を押し付けようとするファンでごめんね。そんな気持ちになってしまった。彼女に落ち度は何もない。私が変化を丸ごと愛せる器がなかっただけだ。不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。誰かを好きでいることも、誰かを応援したい気持ちも、義務ではなく、強制されることでもない。それでも、私は彼女のことを大好きな自分のままでいたかったのだ。彼女の全部を愛せるファンでいたかった。それが出来ないのなら、黙って去るしかない。

それから数か月後、彼女は出番を降板し、休業した。そのまま引退するかもしれないという言葉を発信した。彼女の体調や病気のことが心配だったが、なんとなくそうなる気もしていたので、驚きはなかった。それだけ彼女は不安定に見えていた。こんなにも呆気なく終わるのかと涙も出なかった。

彼女は休業してから、衣装を制作したり、小物を制作して、販売イベントで出店したり、バーで限定イベントをすることもあった。引退した踊り子が限定的にバーでイベントをすることはよくある。でも、踊り子として出会った彼女と、踊り子としてお別れが出来ていないのに、販売イベントや、バーのイベントで会いたいとは思えなかった。私はステージの上で踊る彼女に恋をしたのだ。私は彼女の変化の全てを愛すことは出来なかったが、彼女は病気さえなければ、ストリップという仕事やストリップで出会った人みんなが大好きだから、まだステージに立ちたい、と言ってくれたことが嬉しかった。彼女が踊り子としてステージに立った記憶が楽しい思い出になるのなら、それだけで十分だ。そうして、私の五年間の恋は終わった。

彼女に出会って、彼女からもらったたくさんの幸福や、たくさんの「はじめて」は、私の一生の宝物だ。彼女より好きな女の子にはもう出会わないと思う。たくさんの美しい光景を見てきたが、淡いピンク色の光に照らされる、狭いステージの上で桜の花びらを持って寝そべる、白いセーラー服を着た彼女の美しさは特別だった。私は彼女が見せてくれた春の夢に恋をしていたのだ。理想を押し付ける身勝手な恋は、教師と生徒の恋よりも、ずっと儚く、残酷で、一方通行で、夢の中のように都合がいいものだったのだ。それでも、その時間はただ甘く、幸せなものだった。
私は彼女に恋をしてとても幸福だった。

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