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オンリーロンリー貝柱丼

師走の風は冷たく心も体も冷えきっていた
街は色づき、どこもかしこもクリスマスツリーを飾っている

予報はずれの雨に打たれて
千切れそうなくらい冷たくなった手をぎゅっと握りしめながら
必至にあの黄色い看板を目指して自転車を漕ぎ続けていた

肉のハナマサだ
今日は絶対マグロのたたき丼と決めていた

しかし刺身コーナーに行って驚愕した
ひとつもマグロのたたきがない
今日に限ってセールをやっていたため
一つ残らず売り切れていた

しかたなく貝柱を買った 330円
くら寿司なら3貫ぶんの値段で5個の貝柱が買えてしまうのだ
そう言って自分のマグロのたたき丼への想いをごまかし慰めた

レジのお兄さんの接客スマイルはまるでマグロのたたきを買えなかったあてつけのように思えてならなかった
こうやってモンスタークレイマーは生まれるのである

急いで一目散に家に帰った
冷蔵庫から数ヶ月前の長芋を取り出した
寒さで凍ったみたいな冷たさの右手と冷蔵庫の奥で冷えきっていた長芋の一欠片が出会うとそれはまるで生き別れの兄弟のようにシンクロした

そして冷凍庫からカッチカチに凍ったご飯を取り出し電子レンジで温めた
暗い冷凍庫の底から出て明るいライトを浴びながら回るご飯がなんだか微笑ましい

そして芋をすってとろろをつくり
丼にご飯をいれてとろろをかけてうえに貝柱を5つ贅沢にものせた

貝柱は滑らかで淡白な味だが醤油によくあっておいしい
とろろはごはんと貝柱をつなぎとめて絶妙な風味を醸し出す
あまりに旨すぎてあっという間に完食してしまった

物凄い満足感のあとでとんでもないことをしてしまったような気持ちに襲われた
貝柱を5つもひとりで食べてしまうのはさすがに贅沢すぎたきがして妙に罪悪感が襲ってきたのだ

そしてあの日の記憶が蘇ってきた
忘れもしないあの遠い日の記憶が

小さいころ祖父と両親に初めて連れて行ってもらった回転寿司屋「梅ずし」は貝柱2貫で380円だった
そんな高い貝柱を6貫も平らげた生意気坊主は、大人ぶって480円のウニにまで手を出しあまりの苦さに嘔吐してしまい父にゲンコツされた苦い記憶が色鮮やかに蘇ってきた

「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」
思わず感極まりそう呟いてしまった

あれからどれくらいの年月がたったろうか
今ではこうやってひとりで貝柱を5個もとろろごはんにのっけて食べても誰も何も言われないほどやりたい放題できるようになってしまった
こんな傍若無人なことをしても誰もとめるものはいない
大人になるというのはまさにこのようなことだと感じた

私はマグロのたたき丼から貝柱丼に変更した時、すでに大人の階段を登っていたのだ
そう思うとさっきのレジのお兄さんの笑顔は大人になった自分への祝福だったのではと思えてきた

こうして大人になった僕はいったい何を手に入れてきただろうか
完食したばかりの余韻の遺る無駄に伊万里焼の器がそんなことを語りかけてきた
クリスマス間近の色づいた都会の夜に、誰もいない部屋で貝柱を独り占めしてかじかんだ手で丼にのっけて食べているこの孤独さを少し呪いたくなった

そしてまたこう思った

すき家で牛丼を食ったほうが安かったと


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