日記⑴

 海を望む小さな通りに面したその古民家は、最初、敵だった。
 些細な汚れや埃やにおいや、最後にいつ人が住んでいたのかもわからない生活感の欠如が、疲労でいっぱいの私を苛立たせた。冷蔵庫から来る腐臭を悪戦苦闘しながら取り除き、コンロの油汚れを丁寧に拭き取り、食器をひたすら漂白した。少し不貞腐れた表情のネコが描かれたマグカップを戸棚に見つけ、丹念に洗って、コーヒーを淹れた。トイレを隅々まで拭き、洗面台にこびりついた髪の毛を集め、風呂場に潜んでいた3匹のナメクジに塩をかけた。同居人たちがそれぞれの部屋に戻ってからも、どこか気が休まらない私は掃除を続けた。
 日付が変わろうとする頃、家の中を吹き抜ける夜の海風を感じながら私は、疲れ切った自分の身体がこの冴えない古民家にだんだんと馴染んでくるのを感じた。丁寧に掃除をしたキッチンは、綺麗とは言えないまでもどこか懐かしみのある生活感を取り戻し、祖母のように優しく微笑みかけてくるかのようだった。だんだんと文字通りの at homeさを帯びてくる”わが家”に勝ち誇った表情を向け、眠りに落ちる。

 この古民家では冷房をつけなくても快適に暮らすことができそうだ。高温多湿の気候に合わせて建てられた日本家屋は風通しに優れるというのはどうやら本当で、窓からはひんやりとした海風がとめどなく流れ込んでは家を揺らす。東京の家が圧倒的な外部性の渦から自分を包んで守る密閉された繭だとすれば、ここ隠岐の古民家は、ともすればそうした外部に飲み込まれて渾然一体となってしまうかのような穴だらけの巣だ。きっと物理的な解放感は心理的なそれと裏返しで、生活のありとあらゆる要素が否応なしに赤の他人に開かれてしまう田舎の居心地の悪さが、人々を都会の鉄筋コンクリートマンションに押しやったのだろう。

 高熱が続く。ふらふらになりながら入った商店で手に取った2Lペットボトルのポカリはなんと432円!あまりの価格差に熱が下がりそうだ。なけなしの貯金を切り崩して市販の風邪薬とポカリを購入。うどんを作ろうと手に取ったほうれん草も1束430円だ。この街の価格は身体に優しくない。野菜だって海を超えるにはお金が必要なのだ。

 味がしないということの苦痛は想像を超えるものがあった。自分の身体が急に他人のものになって、どこか手の届かない遠くにいってしまったみたいだ。伸び切った爪を切って、部屋に散乱する髪の毛を拾い集め、申し訳程度にパンをかじる。こうやって呼吸をして代謝を回しているだけで金がかかるという事実に愕然とせずにはいられない。自らもまたヒト科ヒト属の動物であることを容赦無く突き付けられている。

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