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【2月_掃除】部屋の乱れは心の乱れ


おはようございます、こちらは只今9:33です。
今日は天気がいいのでレースカーテンの向こう側でひなたぼっこをしています。

先日、持っている靴下の整理をしました。
私はよく片足を無くす人間なので、
ひとり暮らしをしている靴下が多くあります。
「捨てなきゃなぁ、捨てなきゃなぁ」と思いつつ。やってしまえばすぐ終わるのに、なぜかやる気が起きずに先送りにしてしまっていました。

土曜日の昼下がり、やることもなくだらだらとYouTubeを見てゴロゴロして…。

「すごく今自分のこと嫌いになってる!」と感じ、靴下の整理をすることにしました。

手持ちの靴下を全部出して、

いる、いらないで分ける。

ただこれだけの事で、数分で終わりました。
今までなにをうだうだ言ってやっていなかったのか。やればすぐ済む話、やってしまえばタスクが減って心も楽になるのに。

昔どこかで
「人はやった事で疲れるんじゃない、これからやらないといけない事で疲れるんだ」
というお話を聞いたことがあります。

その時は中学生か高校生くらいでしたので、
「何言ってんだ、体育の授業をやったから疲れるんだろ」
とか生意気なことを思っていました。(確かに体育は疲れるし)

しかし、今ならその言葉の意味も分かる気がします。

大人になると、疲れの種類が肉体的疲労→精神的疲労に変わっていく。
朝起きて会社に行って、仕事をこなして、人間関係も円滑になるようにコミュニケーションを取って、家に帰れば家事をこなして。
常に「やらなくちゃいけない事」が次から次へと、毎日湧いて出てきます。

それは今年こなせば良いものではなくて、
多くが数年先、ものによっては死ぬまで繰り返さなければならないタスクだったりするわけです。ずーっと「やらなくちゃ」に追いかけられる。恐ろしい。

「やる!」タイミングを自分で決められないものも多くある中で、「ちょっと気になっているトイレの汚れをとる」とか「お風呂の隅っこのピンクぬめりを取る」みたいな自分でタイミングを決められるものもいくつかある。すぐやってしまえば終わるのに、なんとなくやる気にならず放置してしまう。

そして放置する事で、トイレに入るたびに「ちょっと汚いな」お風呂に入るたびに「はぁカビになっちゃうな」と心がちくっとする。ちくっ。ちくっと自分を少しずつ嫌いになる。そりゃ、疲れる。

くつ下の整理も、「やらなくちゃ」のひとつでした。毎朝ごちゃごちゃのくつ下を見て「やらなくちゃ」

その「やらなくちゃ」を解消するために、重い腰を上げ数分の作業。いる、いらない、あっこれあった!…。

数分のことでしたが、作業が終わってほんっと〜にすっきりした気持ちでした。お気に入りのくつ下だけがあって、すぐに取り出せて。うんうん、私はこうしたかった。

「やらなくちゃ」がどうして人を疲れさせるのか、ずっと納得できなかったけど、今なら少し分かるかもしれません。

「やらなくちゃ」で疲れるのは、心に「やらなくちゃ」が溜まって重くなってるからなのかもしれないな。

お気に入りのくつ下とくつでお出かけ




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