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【番外編】地雷嬢が講習員になるまで-未成年キャバ嬢がNo. 1を取る-

あおいです💙💙

更新頻度悩んだのですが
吉原のお仕事がお休みの日に
更新する事に決めました😃‼️

別の仕事もしている為
もしかしたら書けない時もあるかもですが
その時はすみません😭😭

今回は何を書こうかな、、、
と前回同様迷いまして😅😅😅

ざっくり経歴を書いていこうかな?と。
前回に引き続きで
読んでくれてる方有難う御座います。
初めてだよ。と言う方は
前回記事から見て頂けると幸いです。

ではでは本題へ。

18歳、大学入学2ヶ月後に
地元の学生キャバクラみたいなところで
水商売を始めました。

未だに初めての日の事は
忘れられないのですが
酔っ払ったお客様に膝の裏を触られて
大泣きしてしまいまして。

今思えば「何で?」って感じなのですが
異性の免疫が皆無に等しい上に
触られるなんて有り得ないと思ってました。

胸を触られた訳でも無いのに大袈裟だな。
ってなりますよね。笑

それぐらいうぶな時代もありました。

今じゃ、、、ねえ???
あんまり言えませんけど。笑

大学もつまらないと言う理由で
全然行きませんでしたし
当時最年少と言う事もあり
キャバクラに出勤すれば
お姉さん達にチヤホヤしてもらえて
お姉さんのお客様にも可愛がってもらえて
座ってテキトーにお酒作っておけば
お金が貰える。と言う感覚だったので

同い年の子と群れる意味も分からなければ
これ以上何を勉強する事あるんだ。
ってかなり怠けた大学生を過ごしてました。

「お金を稼ぐ」難しさなんて
1ミリも分からなくて
出勤すれば時給が発生するから
お客様をわざわざ掴みに行く理由が分からない

実家暮らしだし
欲しい時に欲しいものが買えて
不自由無く遊べるお金欲しさでしか無い私は
まさに時給泥棒。

店長さんに営業してる?って聞かれても
「何で営業するの?」って脳天気に返し。
だんだん「こいつはダメだ」って
見放されてる事にも気づかず。

気づいた時にはもう遅くて
時給も下がってて
フリーも回されなくなってて
※フリー=指名無しのお客様

挽回しようにも挽回出来ない所まで堕ちてて
変にプライドだけ残っていて
「ここは私には合わなかっただけ。」
「もっと良いところに行けば良い。」
とあまりにも楽観的過ぎて
今の私からしたら黒歴史です。笑

暇だし、久々に大学に行くか。と
思って大学に行った時も
時既に遅しで
出席日数が足りないから
試験を受ける資格すらも無く
当たり前に入学早々留年予備軍。

入学式で出来たお友達だった子達も
お友達と言える様な関係でも無くなっていて

バイトも辞めたし、大学も居場所無いし。
空っぽだなあ。
って感じでした。

全部自分勝手に行って来た報いなのですが
当然それに気づく訳も無くて

何も考えず繁華街の高級キャバクラの面接へ
行けど行けど面接落ちまくり。

何で落ちるかが分からず
イライラして帰宅する日々

そりゃ特別可愛くも無いし
垢抜けて無い上にメイクも下手で
デニムで面接に来る女を
採用する店の方が少ないですよね。
ましてや高級店なんて。笑

でもそんな何も無い私を
採用してくれたお店があったんですよ。
1時間9000円ぐらいのそこそこ高いお店です。

落ちまくってメンタルボロボロでの採用で
ほんの少し大人になれたと言いますか
世の中甘く無い。って
生きてて1番最初に思ったんじゃ無いかな。
と思います。笑
(程度低くてすみません。笑)

折角雇って貰えたんだから
私はここで何があっても頑張る。
って意気込んだのは良いものの

連れて来れるお客様も居ない。
未成年でお酒も飲めない。
特別可愛くも無い。
何より異性の免疫が無さすぎる。

男性受けする何かが全く分からない。
聞いても「それはしたく無い」「嫌だ」とか。

頑張るなんて最初だけで
いざ始まるとまた同じ事の二の舞
また下に落ちていくところが
見え隠れしていた頃、、、

私がキャバクラで働いてる事が両親に発覚し
母親はカンカン。父親は何も話さない。

大学も行ってない上に留年予備軍なのもバレ
余計に大騒動。笑

母親は「キャバクラなんて辞めなさい。」
「普通のバイトしなさい。」
「大学もちゃんと行きなさい!!」
とひたすら怒鳴り。

父親っ子の私は父親に逃げ
大学も行きたく無いし、普通のバイトもつまらないし、キャバクラも辞めたく無い。と
腑抜けた事を言っていたら

父親から「大学は留年してでも卒業しなさい。」「No. 1取るならキャバクラは続けても良い。」と
割としんどい条件を出されました。笑


大学は行くとして
とりあえず置いておいて、、、
「No. 1ってどうやってなるの」
「お客さんってどうやって作るの」
ってスタッフさんでもお店のお姉さんでも無く
父親に相談しました。

勿論父親に相談したのは
色々な理由がありますが
会社での営業成績が
何十年も1番なのを知ってるから。と言うのが
1番の理由でした。

流石に父親も困った顔していましたが
馬鹿な私に細かく
営業についてのノウハウを教えてくれて
私が仕事から帰ってくるのを
待っててくれて帰ってからも
その日に会ったお客様の分析を一緒にして。
をほぼ毎日してくれましたね。笑

まあ普通の親子関係では無いですよね。爆笑
母親はずっと反対してましたけど。

頑張っても結果が出無い時は
繁華街のど真ん中で大泣きして
普通に痛い小娘もしてましたし。

18歳、19歳は
親と共に水商売してた感覚でした。笑

結果が出始めるようにになった頃
父親から「1度だけ就職してくれ」と
言われました。

ぶっちゃけする気1ミリも無かったので
就活何てしてる訳も無く
就活したくても
単位収穫とキャバクラが忙し過ぎて
「そんなのしてる暇無いよ!!!」
って感じでした。

しかもそれを言われた時には
卒業3ヶ月前、、、
こちらも割と時既に遅し。笑

あれ?大学って言ってるけど
短大なんですか?って思いましたよね。
本当は4大に入学したのですが
大学の行きたく無さは変わらず
駄々を捏ね両親に頼み込んだ結果
付属の短大に編入させてもらえました。
両親と言うかお婆様有難う。←
まあこれは置いといて。

テキトーに残り物をチョイスした
企業を集めて、一通り面接受けて
内定貰った所から
「あみだくじ」で就職先を決めました。
最低ですね。←
※後に就職で上京

無事単位もギリギリ取り終え
就職先も決まり

よし!!と意気込んだ時に
私東京に就職するって事は
このお店辞めなきゃなんだ。って改めて実感。

しかもNo. 1取るなら続けて良いと
言われてたのにまだ一度も取れて無い。

卒業最後の月ぐらいはNo. 1取りたいなあ。
何て1人で叶わぬ夢を呟き。
残り2ヶ月楽しもう!!

って決めてからすぐラストの日に
シャンパンタワーをする事が決まりました。
その月は普段中々来れない
お客様達も来てくれて
最後の最後でNo. 1取る事が出来て
今でも感慨深いな。って思います。

人生で初めて「頑張って良かった」と
思えた日でした。

この経験が後に風俗で役立つとも知らずに。


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何故番外編として
キャバクラ時代の事を書いたかと言うと
私のゴミカス度を伝えたかったからです。笑
甘やかされて生きて来た上に
考え方から幼稚で終わってる人間でも
周りのお陰でどれだけ変われるか
どれだけ努力出来るか
私の場合は父親と言う身近な存在でしたが

1人で変わろうとするのは
とっても難しいと思います。
けど尊敬出来る人を1人でも見つけるだけで
全然視野は変わります。

今悩んでる方へ
何処でも良いし誰でも良いから
尊敬出来る人を見つける事から
始めてみても良いかもしれません。

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