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Night World 〜第三夜 流れる星のもとで 〜

どうして。
こんなことになってしまったんだろう。

私の腕の中で彼女は瞼を閉じ横たわり、苦しげに呼吸を荒げている。その動きが、息が少しずつ弱まっていることが。触れる細い肩から、少しずつ少しずつ温度が失われていくことが。
どうしようもなく怖くて。怖くて。怖くて。

だれか、たすけて。
彼女を。私を。わたしたちを。
どうかお願いだから。いい子になるから。
ほかはもう、望まないから。
だれか、だれか。お願いだから。


「この列車の名前はポラリス。Night World の夜道も迷わず、あなたたちを乗せて走ってくれる心強い味方ですよ」

私たちを乗せた小さな汽車は、そのサイズからは想像もつかない力強さで夜の森をかき分けて進んでいきます。黒猫のフレイが、その素敵な汽車の名を教えてくれました。

黒く見える車体は、よく見ると深い深い緑色であることがわかります。先頭車両からは、シュッシュと蒸気音が微かに。私たちでも余裕で跨げるほどの小さな車体ですが、一つひとつの部品は武骨で頼りがいがあり、私の心を浮き立たせてくれました。

「こういうの、好きなの?」
前に乗る彼女が振り向いて、おもしろいものを見つけた口調で声をかけてきます。
「汽車が特別好き、というわけじゃないけど…」
私が考え考え口ごもると、
「この汽車は、好きなのね?」
その答えがぴったりだと思いました。だから勢いよく頷いてみせると、彼女はまた愉快そうに小さく笑って「わたしも」と呟いてくれました。

「ずいぶんと暢気なことで」
肩先から辛辣な、しかし美しい声が。
「貴方たち、ここを遊園地か何かと勘違いしていない? アタシの話、覚えていて?」
フレイヤのオッドアイが、私たちを冷たく見据えてきました。
「もちろん覚えているけど…」
「けど? けど! そんな調子で、本当に欲しいものが手に入るって? 笑っちゃうわね」
ひとつ言葉を返すと鋭い言葉の矢、いえ言葉の刃が無数に飛んできます。なのに怖いわけでも、不愉快なわけでもないのが不思議です。

「子どもたちを怯えさせるんじゃないよ、フレイヤ。この子たちが微笑みと共に朝日を迎える。その手伝いが私たちの使命だろう?」
そっとたしなめるフレイは、そういうと私たちを守るようにクルクルと回ってみせました。
「でも、具体的にはどうしたらいいのかしら。探すと言っても、このナイトワールドはとても広そうに見えるのだけど」
彼女が不安げな声で問いかけると、フレイはパチンッと緑色の左目でウインクをひとつ。
「探しものはね、古来から見つけようとすればするほど、焦るほどに見つからなくなるものなのさ。だからね?」
「だから?」
私たちが同時に問うと、フレイはにっこりと笑いながら…

「いっとう大切なものは、楽しく遊びながら探すが吉さ! さぁ。ナイトワールドへ、ようこそ!」

まるで、その言葉を待っていたかのよう。フレイの声が響いた途端、汽車のゆく手を遮っていた深い森が開き、視界が大きく広がりました。

花々が描かれた可愛らしいコーヒーカップにスタイリッシュで男の子なら皆大好きになりそうなゴーカート。優雅にまわる回転木馬に、夜の空を疾走するジェットコースター、賑やかなゲームコーナーや甘い香りを漂わせるポップコーン売場も見えます。そのすべてが、煌びやかな光の中で輝いていました。

そしてやっぱり何より目を惹くのは、大きな大きな観覧車!見上げればゴンドラは遥か高みに。月や星にも手が届くのでは。そう思うほど高いところまで行けるようです。そこに行けたら、と思うだけで胸が高鳴ります。

見上げていると星がひとつ、そしてふたつ。高い空を右上から左へ、スーっと流れてゆきました。「ほら!」と彼女を振り返ると、同じように感じてくれていたのでしょうか。彼女もこちらをみていて、なぜか少し照れたように笑ってくれました。

「さぁ、どうぞ。ご自由に。あるがままに。貴方の心の動くままに!」

フレイが言うが早いか、私たちは駆け出していました。一秒だって無駄にできない!そんな気持ちで、目の前の魅力的な乗り物やアトラクションに飛びついたのです。もちろん、探しもののことは心の片隅にありましたが、楽しみながら探すというフレイの言葉には大賛成でした。

あれに乗ろう!これ美味しい!
次はあれがいい!いや、その前に!

並ぶ必要もない、2人だけに与えられた夜の遊園地。想像だって出来なかった幸運に、私たちはすっかり夢中になりました。
駆けまわり、息を切らしながら、ずっと笑って。こんなに笑ったのは、いったいどれくらいぶりでしょうか。それを思うと、陰に潜むものも見えてしまいそうで…。私はただ彼女の顔と声を聞き、目の前の夢の国を楽しみました。

そうして2人はいつしか、あの観覧車の前に。
そのあまりの大きさに圧倒されて、私たちは小さな2人掛けのベンチに座り、無言で宙を見上げました。

流れる沈黙。でもそれは、日常昼間に感じる居心地の悪さとは無縁で。こんな暗い夜の底で、こんなに綺麗で冷たい光に囲まれて、それでもこんなに温かい。それが不思議で、安心できるのが嬉しいことだと、つくづく感じる夜でした。

今なら言える。そう思うと言葉がぽろりと零れるものです。
「さっきは、ありがとう」
「さっき?」
身体がぽっぽと熱くなってきました。
「ここへ入る前に、あの森に襲われて。あのとき迷わないように呼んでくれたでしょう?」
小首を傾げる彼女を見ながら、私は懸命に言葉を繋ぎました。
「あの、だからさ。歌を歌ってくれたでしょう?」
そう言うと、彼女の顔が目に見えて紅く染まりました。
「聞こえてた?」
そっと頷くと、彼女はパッと顔を伏せてしまいました。ちゃんと伝えないと!

「あの歌のおかげで、私は真っ暗で座り込みそうな闇の中で、前に歩くことができたんだ。私の足に、背中に、身体に力をくれたのは、君の歌声だった。本当に…」
必死な気持ちが伝わったのでしょうか。彼女が顔を上げ、私を見つめてくれました。
「私を歌で呼んでくれて、本当にありがとう」

誰かを隣に感じられること。そして笑い合えること。それがこんなに温かいこと。それを、私は静かに思い出していました。そう。こんなにも。

「わたしこそ…、ありがとう。わたしに、わたしの歌に気づいてくれて」
そう彼女はつぶやくと、えいっと声をあげ勢いよく立ち上がりました。
「さぁ乗ろう? 観覧車に!」
あの、星をかたどる観覧車に乗って、彼女と一緒に宙へ近づく。考えただけでわくわくします。
私は笑顔でうなずき、同じく勢いよく立ちあが…ろうとしました。しかし、私の足は空を搔き、彼女は上に上にと遠ざかっていきます。その後ろに、星がまたひとつ流れるのが見えました。
驚く彼女の顔が小さくなっていく。自分が落ちていると気づき手を上に伸ばした時には、もうすべては闇の果てに消えて。

暗い、くらい闇のなかへ。
ひたすらに落ちながら、私はそっと目を閉じました。

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