時の蛇口は閉まらない
転げるように時間が過ぎます。
この一年通じてそうだったという話もありますが、師走という月はなぜか「そういう時期」になりがちです。まだたった2日なのに、今年もすでに頭の中もタスクも入り組みはじめ、混乱の予兆も露わになってきました。
が、少し落ち着いて立ち止まり、考えてみると。そもそも11月の時点で私の時間は、早回しのようにぐんぐんと歩みを早めていたことに、はたと気づきました。
おや待て、だったら10月も?それを言えば9月だって。
なんてことはありません。毎月毎日この数ヶ月、すでに時間は私の背後でチリチリと音を立てて迫り来る、導火線の火花のごときものになっていました。なんだったら足元を追い越して、破裂寸前になった爆弾だってあったほどです。
時間は捉え方次第で長さも速度も変わるもの。一年の最後の月。そのタイムリミット感が、日常的な焦りを特別なものに変えていただけなのかもしれません。
師走というネーミングも悪い。由来話も含めたマインドコントロールの罠なのだと思います。
でも、それでも。こうも思うのです。
時間に流れ流されて、毎日毎時を過ごす。ともすれば怠けるのが大好きな私はその「限り」を忘れ、無為に過ごしてしまう。
そんな私に、この年の中で何を成したかと問いかける機会。時の蛇口は閉めることはできないから、流れるそれを見つめ直すチャンスを師走は与えてくれているのかもしれない。そんな風に、思うのです。
年が明けて、晴れて計を立てるような性格ではありません。またきっと睦月となれば、のほほんと過ごし、蛇口の存在を忘れがちになるでしょう。
ならば、せめて。年を定め、師走と名づけ、怠け者の後輩を叱咤してくれる、誰かさんが与えてくれた気づきのチャンスを、それと意識する今くらいは活かしてみようと思います。
てんてこてんてこ舞いながら。時の限りを感じながら。私の時間を噛み締める。
そんな師走を今年も私は過ごすのです。
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