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「好き」という劇薬

自分が好きなもの。その魅力を伝えるために他を貶めるのは昔からある手法だ。わかりやすいし、使いやすい。細かな分析や比較も必要なしに、思い込みだけで使っても一定の効果が見込める。考えなしに「なんか、そう思わない?」と感覚だけで使える手軽さが魅力と言える。

しかし、これだけ多様化が叫ばれる今、この手法は古典的に過ぎて以前ほどの説得力は持ち合わせなくなった。絶対の価値観なんてものが主張しにくい世の中で、何かを貶めることでしか証明できない価値判断が力を持つはずがなく、せいぜいが誰かを不愉快な気持ちにさせる程度の効果しかない。そもそもそこが狙いと言うなら、程度がしれるというもの。相手にしない方がいい。

また一方で、自分の「好き」を他者から評価されないことを怒りだすパターンもある。これも広い意味では同じことだ。好きなものを認める自分が正しくて、認めない向こうは間違えている。だからあっちより、こっちがいい(正しい)、と。

絶対の価値観などない。物事にはさまざまな視点や側面があって、捉え方次第で見える景色は変わる。まして「好き」が絡めば、人は簡単に盲目になり冷静の対極に足を踏み出す。恋は盲目と昔から言うが、好きや嫌いは人を惑わす劇薬だ。普段は冷静な者も、容易く激情に駆られて矛を握る。

大切なのは「好き」という気持ちだけ。この気持ちを純粋に個人の宝物にすれば、きれいなままでいられるものではないかと思う。他との比較ではなく、他の否定でもなく。互いに互いの宝物を認め合えれば「好き」はもっと輝きだすだろう。

文字通り、小さなことからコツコツと。古くさい比較や否定を投げ捨て好きを大切にしていけば、もっともっと生きやすくなるはずだ。やがては大きな世界を変えていく力にもなるかもしれない。温暖化対策として部屋の電気を小まめに消すのと同じように、無用な争いはカットしていきたい。そんな風に生きられないだろうか。

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