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おとぎ話と祝祭

過日、「哀れなるものたち」を見た。見た後からテンションが最高にぶち上がり、もう一度見ようと画策している。私はハマった作品は何回も見るタイプである。初見だとどうしてもドパミンがどばどば出て、「最高」という言葉しか出てこないからである。原作も購入してしまった。
ヨルゴスランティモス監督の作品は「聖なる鹿殺し」と「籠の中の乙女」が好きで、その不穏さ、寓話性を出しつつも物語に引き込まれる魔力というかそのバランスが大変自分の癖に刺さるし、ユーモアのセンスが私のツボをついてくるのである。

あらすじはもうどこかのサイトで読んでいただくとして、圧倒的に女性の祝祭感、フェリーニの”もう世界終わってるから皆踊ろうぜ!酒池肉林!”みたいなイメージ(個人の偏見。シネフィルではないので許してください。)を彷彿とさせるような冒険譚。エクス・マキナで語られる、女性の自由意志のもう一歩先に進んだ物語に心の中で拍手喝采スタンディングオベーションであった。

男女問わず無意識のうちについていく傷、固定観念。箱庭的な世界で生き直しを図っていく主人公の周りを彩る、女性陣も大好きだった。特に淡々と家事や博士の実験を補佐する夫人や主人公の不在を埋めるかのように作られてしまった女性。主人公に本を渡す老婆。

主人公に勝手に幻想を抱き自滅していく中年男性を演じるマークラファロも素晴らしく、昨年見たフランソワオゾンの「苦い涙」に出てくるひたすらメソメソしていた中年男性のドゥニメノーシェを思い出した。恋愛性愛一人相撲の中年男性の悲哀は喜劇である。

欧米の富裕層白人のロールモデルだ、という批判を見かけて、これまた何故だかギャスパーノエのVOLTEXを思い出すなどした。どれだけ高等教育を受け、家族を形成しても人間は肉塊は朽ち、死に向かっていく。本作のような物理的な生き直しや昨年爆流行りしたドラマ「ブラッシュアップライフ」のような転生はできないけれど、精神は何度でもやり直しはできるし、成長は続けられるんだという祝祭。

ラカンを読んでから、女性の欲望、カタルシス、親子関係の葛藤からの成熟が物語られることはまだまだ少ないのではと個人的に感じていた。女性の性や表現が十分に語られることなく、性的なもの全般に対する忌避感だけが醸成されていくのは危惧するところである。もちろん、女性の性が安全に語られるセーフスペースの確保やビジネスシステムや構造への批判は必要であると考える。また、先ほど述べた欧米の富裕層白人ではない女性たちの物語ももっとたくさん語られるようになればいい。

二回目や原作を読むとまた感想が変わるかもしれない。取り急ぎ、初見のこの高揚感だけ記しておきたかった。

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