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ついに卒業!!さよなら、母子分離不安

不登校ママの先輩から、”いつかは終わるから”と励まされること数年。不登校から3年が経過しようとする頃から、娘に明らかに変化がみられるようになりました。母子分離不安の濃度がどんどん薄くなっていったんです。原因はわかりませんが、同時に娘は本来の自分をどんどん取り戻していきました(逆に面倒くさいものことも・・・)。色んなものがふっきれたようにも見えました。中学は行かない(行けない)、きっと高校も行かない(行けない)、けど大学には行けそうな気がする、そんな話をするようになりました。

中1の1年間

月に1,2回のペースで、SSWさんと担任の先生と放課後に会う機会を作ってもらい、みんなでカードゲームをしていました。時間の使い方としては、9割カードゲーム、1割を普段の生活の話です。担任の先生は、きっと最初は娘のことがよくわからなかったと思います。けれど、こちらの話を否定することなくうまく対応してくださったと感じています。娘が心の壁を作りませんでした。
習い事は英語をスタートしました。娘が「ここに行ってみたい」と決めた塾で、異学年の小集団(10人くらい)で学ぶスタイルでした。距離的には1人で行ける場所でしたが、不安が強いこともあり送迎していました。ところが、半年で行けなくなりました。ただ、コロナのおかげでオンライン授業の体制が整っており、そちらで継続して学ぶことができました。我が家にとってこの小集団で学ぶ塾は、学校のかわりのような場所でもありました。個別塾もいいのですが、やはり色んな人がいる環境で授業を受けることも必要だと考えています。大学だって個別対応じゃないですから、耐えられるストレスは必要です。ストレスをすべて遠ざけてしまうと、過敏さは逆に悪化してしまうこともわかっていました。月謝だって気になります。だから、オンラインばかりになってしまったときには、「高い月謝を払ってるのに、行かないなら辞めてほしい!」っていらん一言を言ってしまったこともあります。はい、そこそこ言ってしまいました。毎回反省しています・・・。
個別塾、こちらは数学からスタートして、数学に飽きたら化学にうつり、っていう流れです。こちらの塾は、めちゃくちゃ配慮してもらっています。苦手な席があったり、心を開ける先生が限られていたり、無理ばかりをお願いしていました。配慮されまくりなのに、ここも、時々お休みしていました。これまでは、ただ無言でしくしくし始め、こちらから「今日は休む?」と聞く感じだったのが、「今日は頑張れそうにない」って言うになりました。それが言えるようになったのは大成長なのですが、これまた脳裏を月謝がかすめるのでいらん一言を言ったことはあります。ここでも反省です。
ピアノは辞めました。なんだか燃え尽きてしまったのかもしれません。そして、違う楽器を始めました。

中1の1年間、我が家が大切にしたことは頑張りすぎないことでした。疲れ切ってしまう前に休む勇気をもとう。そして、あらかじめ休みを組み込んでおくというのもいいかもしれない(有給みたいな)、という話もしました。でも、あまりにも休まれてしまうと、ママも人間だから月謝のことやら考えてしまって嫌な気持ちになるということも伝えました。そこまでいってしまうようなら、やめることも考えようと。そんなこんなで、自分にとって危険な疲労感はどの程度なのか、どのタイミングで休みをいれるべきなのか、それをどのように親に伝えるのか、を学ぶ1年でした。危険な疲労感っていうのがなかなか本人もわからないので、塾に3回行ったら1回休む、と形で決めてしまって、その後も様子を見たりしながらペースを整えていきました。

母子分離不安が軽減したことで、娘が1人で活動することが出てきました。送迎が必要なものはありつつも、留守番ができるようになったり、1人で寝れるようになったり、ドラクエのパーティーみたいに後ろからついてくることはなくなりました。ほんと、めちゃくちゃ楽です。私も楽になりましたが、何よりも娘自身が楽になったようです。私もしんどかったけど、娘もしんどかった。そこに気づいてあげられてなかったのは申し訳なかったなと思います。母子分離不安中、無理に遠ざけたりすることはせず(いや、ちょこちょこはやってしまったと思います。私が発狂した時期もありますから。)、不安はまるまる受け止める姿勢でいたつもりです。不安を小さくする練習をしたり(我が家流の認知行動療法ごっこ)、強迫症状が悪化しないようにする練習をしたりは今も必要時にやっています。このスキルは必ず必要になるだろうと思っています。あと、オーバードーズで死ぬのはなかなか難しいとか、胃洗浄はけっこうきついとか、そういう話もしたりします。

さて、母子分離不安を卒業したことで、私は仕事復帰を果たします!!それまでも在宅ワークなどできることはやっていたのですが、外に働きにでるようになりました。何かあっても娘が来れる距離の職場を探しました。最初は夫が休みの土日だけ働きにいくようになり、その後は娘の塾の時間とかぶるようにしたりしながら、かなり融通のきく職場と出会いました。看護師免許のおかげです。

次回は中2の様子を…。




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