語尾の止め方『過去形』と『現在形』の使い分け

語尾の止め方で悩んだ方はいるでしょうか?
「~した」
「~だった」
の過去形。
「~する」
「~だ」
の現在形。

ともすると、私など、無意識に筆を走らせるとすべて「過去形」になってしまいます。
最初の頃は、そうやってハードボイルド風に淡々と書いていった方がリズムがあって読みやすく、それもひとつの自分の「持ち味」だと考えていました。
しかし、勉強していくうちに幸か不幸か、「~た」ばかりでは単調で稚拙な文章に思えてきたのです。

ほとんどのレクチャー本では
「過去形ばかりが続くときは、現在形も交えて語尾が単調にならないようにしましょう」
と教えています。
そうか、じゃあ、ところどころ「~だ」とか「~る」にしよう、など、あとから「適当に」直すことをずっとしてきました。
本当に適当です。
法則性、ルールなどありません。

そうすると今度は、そういう「適当な」決め方が稚拙に思えるようになり「プロはきっと何か書き方の『型』があって、うまく過去形と現在形を混在させているのでは、と考えるようになりました。

そして、調べ、私なりの解釈をしながら、ある程度、結論に達しましたのでここで披露したいと思います。

私のようにこんな些細なことで悩んでる方の、お役に立てばと思います(笑)

語尾の止め方に明確なルール付けをした本に出会ったのは、この本が初めてでした。

樋口裕一『頭がいい人の文章「すぐ書ける」コツ』

氏は文章指導家としては有名な人ですね。
その本のコツの中で、こういうタイトルで語られています。
『過去の話を「現在形」で書くと臨場感がでる!』
少し抜粋してみます。


過去に起こったことを、そのまま「……だった」「……した」と過去形で書くと、読み手はどう受け取るでしょうか。当然のことながら、すでに終わった話だと判断するはずです。今の話ではないと感じることで、臨場感が薄れてしまうのです。
では、現在形で書くとどうでしょうか。
すでに終わったことではなく、まるで目の前で今起こっているかのように感じられるのです。
(中略)
ただ注意すべき点があります。すべてを現在形にしてしまうと、意味が通じなくなってしまうからです。
(中略)
慣れないうちは、次のコツを覚えておくと良いでしょう。


ではそのコツとは……。

①実際の行動を書いた文は過去形のままにする。
②様子を説明する文を現在形にする。
例文として


私は橋を渡った。
橋は白いコンクリートで輝いている。
その向こうに山が見える。


一つ目の文は行動を表しているから過去形。
二文目と三文目は様子を表しているから現在形。

おわかりいただけただろうか?(笑)

つまり自分なりに解釈してみると
『行動描写は過去形』
『周りの状況説明(描写)は現在形』
と、なるのでしょうか?

では実践してみましょう。
たとえば一人称形式の場合、『私』のしたことは『過去形』で、それ以外の描写は『現在形』で書いてみます。


私はオフィス街の歩道を地下鉄の駅に向かって走った。
腕時計を見た。
デジタルの数字は午前11時5分を示している。
真夏の太陽がほぼ真上から容赦なく照らしている。
私は走りながら額の汗を拭った。
間に合いそうもない。
私は立ち止まると、車道に降り立った。
タクシーを拾うためだ。
今来た道を振り返った。
50メートル先に1台のタクシーが走ってくるのが見える。


どうでしょう?
すべて「~た」にできるところを、行動以外は「現在形」にしてみました。
完璧にしっくり収まるわけではありませんが、上手くいくような気がします。
一応の目安にして、お好みで変えてもいいかと思います。


もうひとつ、語尾をどうするか語っている方がいます。
大御所の作家、筒井康隆氏です。
紹介しましょう。

筒井康隆『創作の極意と掟』という本です。


彼は路地を奥の方へ進んで行った。
塀があった。
行き止まりだった。
彼は周囲を見まわした。
通り過ぎたばかりの二軒うしろの家の前に見覚えのある自転車が置いてあった。
静子が乗っていた青い自転車だった。
ひどく汚れていた。

(上記の文を)いくら何でも「た」が続き過ぎだと思う読者もいるようだが、別に気にならないという読者もいよう。
なぜならこの文章には主人公である「彼」の感情がいっさい書かれていず、とんとんとストーリイが進行しているからであり、余計な内面描写が嫌いで早く筋道を追いたい読者にとっては気持ちがいいからだ。
気になる、という読者のためには「自転車が置いてあった」の語尾を「置いてある」にすればすむ。
それを殊更同じ語尾にするのは、現在形を避けて、乾いた過去形にするためだ。
「置いてある」という現在形にすれば、語り手の視点がここにあるぞと読者の注意を促すことになる。つまり一種の三人称多元描写だ。
どちらがいいかの判断は小説全体の描写にかかわってくる問題で、どちらにもそれなりの効果があるとしか言いようがない。



結論的には、小説全体を通じての問題で、乱暴な言い方かもしれませんが、ストーリー重視なら過去形を多用して淡々と起きた事象だけを書く方がいいし、登場人物の内面重視なら、現在形を使い、登場人物の視点を強調する、といったところでしょうか。


確かに過去形で「~た」と書かれると、ただの事実だけを示しているようで、視点は場面全体を「俯瞰」しているように思えます。
俗にいう「神の目」です。
逆に「~る」と書かれると、その「る」の対象に視点が固定され、読者とその視点の持ち主との距離がぐっと縮まります。

ただ、読者との距離が縮まるといって「神の視点」で「彼は額の汗を拭う」と使うと「彼と読者」の距離ではなくて「神と読者」の距離が縮まってしまいます(笑) 注意が必要です。
あくまで、「登場人物の視点」が対象です。

「語尾の止め方」を「過去形」にするか「現在形」にするかは、些細な違いですが、このことを知っているのと知らないのでは、テクニックに差が生まれてくるように思います。

かと言って、私の過去の作品を読み返さないでください。
そのようにはなっていませんので(笑)

これから気を付けたいと思います。

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