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ビターバレーの狩人 第1話

 ある7月の、夕刻の出来事。
 渋谷の裏路地で、俺は”彼女”を見かけた。放課後になるといつも廊下の片隅で音楽を聴いている、同じクラスの女子。名前は……なんだっけな、思い出せない。それほど目立つタイプじゃないし、よく覚えていない。もちろん一度も話したことはない。

「……見た?」

 俺が言葉を発する前に、彼女が口を開く。まるでいけないものを見られたかのような表情をして。

「え、あ、う」

 彼女の足元は、墨汁でもこぼしたのかというくらい真っ黒に染まっている。これが只事ではないことくらい俺は知っている。だって、その前の出来事をしっかりとこの眼で見ていたのだから。

「み、見ました」

 彼女の鋭い眼光が突き刺さる。やっぱり見てはいけなかったのだろうか。

「このこと、誰にも言わないでね」
「あ、わ、わかりました」

 それだけ告げると、彼女は立ち去った。ぬるい風が俺の頬を撫でる。俺はぼんやりと彼女が立っていた真っ黒な地面を見つめることしか出来なかった。


 2047年、東京。
 ノクサと呼ばれる生命体の侵略により人口の半分が亡くなり、都市機能が停止した。
 かろうじて生き延びた者たちが新・日本政府を発足させ、元自衛隊員を中心とした”狩人”と呼ばれる戦闘部隊を各地に派遣した。
 それから30年。狩人の活躍でノクサは消滅し、街は復興。平穏を取り戻したかに見えた。
 しかし、ノクサの出現以降四季の概念がなくなり、一年を通し気温は20℃、湿度も60%台、天気はずっと晴れという気候が続いている。
 
「明日の授業は化学、国語、体育、英語です。各教科ごとに出された課題・忘れ物がないようにしましょう」

 担任の先生こと、AIが明日の予定を告げる。この時代、授業を受け持つのはAIだ。生身の人間は校長と生徒のみ。部活の顧問もAIが担当している。

近江おうみ、今日部活出ないん?」

 クラスメイトの嵯峨根さがねが声をかけてきた。同じサッカー部に所属している。

「あー、うん。ちょっと調子悪くて」
「わかった。先生に伝えとく」
「うん、頼むわ」

 身体はいたって健康なのに、どうも気分が優れない。昨日渋谷で見かけたあの出来事が、脳裏にこびりついて離れないからだ。

 ――もう、忘れよう。あんな気味が悪いもの。そうだ、あれは全部夢だったんだ! そうだよ、あれは夢――。

 早く家に帰って横になろう。俺は駆け足で教室を後にする。廊下に出ると、一人の女子生徒が目に入った。顎のラインでぱつんと切られた艶のある黒髪に、どこか冷たさを感じる瞳。目が合ってしまった。

「ねえ」

  彼女の声が聞こえる。俺を呼んだのだろうが、気づかないふりをして立ち去ることにする。
  だが、彼女は俺のリュックを引っ張り無理矢理呼び止めた。

「な、何するんだよっ!」
「呼んでいるのに無視しないでくれる? 君、耳付いてないの?」

 耳はちゃんと付いているし、彼女の声も聞こえていた。しかし、昨日の出来事を思い出すとどうしてもスルーしたかった。渋谷の裏路地で背の高い全身真っ黒な人間と戦う彼女。そいつの顔の中心にある大きな目玉を一突きすると、姿形はなくなり黒い液体と化した。彼女の下半身は、その黒い液体で汚れて――。
  思い出すだけで、吐き気をもよおしそうになる。

「まぁ、それはともかく。これから時間ある?」
「え、まぁ、暇だけど……」

  もしやデートのお誘いか? いや、何でこいつとなんだ……。これから部活だって嘘つけばよかったかな。

「付いてきて。見せたいものがあるの」

  普通ならドキドキする展開なのだろうが、全くその気がしない。大体、俺は彼女の名前も覚えていない。同じクラスで俺の二つ隣の席にいることと、放課後になるといつも廊下で音楽を聴いていること、そして剣を持って謎の真っ黒い人間と戦っていることしか知らない。

「おい、どこに連れていく気だよ」
「うるさい、黙って付いてきて」

  学校を出て、渋谷駅まで歩いてきた。駅、といっても今はその機能を果たしていない。街中のあらゆる所にある転送装置が公共交通機関の役割を担っている。駅はもっぱら不良のたまり場と化するケースが多く、渋谷駅の内部も不良たちによる落書きや不法投棄が後を絶たない。

「なぁ」
「何?」

  俺は昨日の出来事について、聞いてみることにした。あの真っ黒い人間は何なのか、何故彼女が戦っているのか。ついでに名前も聞いておこう。

「あの、昨日の真っ黒いアレ、何?」

  彼女は「あぁ……」と小さく呟いた後、前方を指差した。

「歴史の授業に出てきたでしょ。今から30年前、日本に謎の生命体が侵略して人口の半分が亡くなったって」
「でも、それは30年前の話だろ? もうそいつらは滅んだって言ってたし」
「いいえ、まだノクサは絶滅していない。東京の地下で、ずっと侵略の機会を伺っているの」

 彼女は剣を抜き、前方の”何か”に斬りかかった。悲鳴を上げよろける”何か”。今の一撃で右腕がなくなったようだ。
 返り血のように黒く染まる彼女の頬を見て、俺は”何か”の正体に気づいた。ノクサ。またの名を害悪。日本を滅亡に追いやった、正体不明の侵略者。

 ――どうして、どうしてここにノクサがいるんだ? それに、どうしてお前がノクサと戦っているんだ?

 俺は助け船を出すことすら出来ず、ただただノクサと戦う彼女を見守っていた。昨日と違い、やや劣勢だ。彼女の攻撃は、ノクサの急所である大きな眼にすら届かない。

「くそっ、何かないのかよ……」

 周囲を見渡していると、不法投棄されたゴミの中にサッカーボールを見つけた。やや空気が抜けているけど、使えなくはない。少しは役に立つだろう。

「おい!」

 ノクサが俺の声に反応する。こちらに注意をそらすことに成功した。早足でノクサがこちらに向かってくる。

「ちょっと、何しているの! 死にたいの!?」

 ノクサとの距離が20メートルくらいまで近づいたところで、俺は急所を目がけてサッカーボールを蹴った。ボールは狙い通り急所に命中し、ノクサは黒い液体と化した。

「……えっ、嘘でしょ」

 彼女が呆然とノクサだったものを見ている。俺がノクサを倒したことが信じられない様子だ。

「そういえば、近江君ってサッカー部だったっけ。どおりで上手いわけだ」
「どおりで、って忘れてたのかよ」
「いや、知ってたよ。部活してるところ、よく見かけるし」

 俺はこいつのこと知らないのに、こいつは俺のこと何気に知っているんだな。あ、そういえば名前聞かなきゃ。

「なぁ、そろそろ教えてくれよ。お前のこと」
「やだ、近江君って私に気があるの?」
「ち、ちげーよ! お前がノクサと戦ってる理由を聞きたいんだよ! それと、お前の名前!」
「え、クラスメイトなのに知らないんだ? ひどい」

 彼女がしゅん、と肩を落とす。

「ごめん。ほら、あんまり話したことないし」
「……白羽莉都しらはねりつ
「白羽、ね。わかった、覚えておく」
「ところで、近江君。狩人になる気はない?」

 え?
 突然何を言い出すんだこいつは。

「私、東京都対ノクサ狩人隊に所属している狩人なの。近江君、なかなか良い筋をしているし、それに……昨日見られちゃったから、ね」
「え、やっぱり見られたらダメなやつ?」
「そうだね。まだノクサの存在はおおやけにされていないから、民間人に見られた場合は狩人にスカウトするか、薬を使って記憶を消す」
「マジかよ……」

 記憶を消す道を選んでも、後々何か起こりそうで怖い。かと言って、狩人になる道も……ああ、どっちにしても行く先は死、なのか?
 どうしようどうしよう。ああ、どうしよう。

「今決められないなら、返事は後でも……」
「やる」
「え?」

 白羽がきょとんとした顔で俺を見つめる。

「俺、狩人になるよ。一緒に戦わせてほしい」

 白羽の表情がきょとん顔から笑顔に変わった。こいつ、こんな顔で笑うんだな。不覚にもかわいい、なんて思ってしまった。

「それなら、よろしくね。近江瞬太郎おうみしゅんたろう君」

 


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