どうも城北です。 劇場総集編、どっちも公開日にみてきましたよ。三連休寝て片付けして終わりになってしまうので、せっかくだからnoteにも感想記事をあげようと思います。ネタバレします。 音を聴け、音を。 そう言わんばかりに音が良くて、映画館で正解だな、と思いました。というかスラダン予告編の第ゼロ感で飛べる。 作品通しても、8話相当部分のあのバンド覚醒シーンが大好きなんですけど、あそこ、本当にライブハウスにいるみたいで頭が溶けそうでした。自分の地元のライブハウスは
はじめに 2022年12月25日午前0時30分。僕は鮮烈な最終回を食らってしまった。生まれてこのかた、みんなが邦ロックを聴いてなくて寂しい思いをしていたのだけど、それ、思い違いだよ、と言われた気分だった。後藤ひとりをはじめとする結束バンドの物語が始動した12週間は本当に楽しかったし、信じられない喪失は年を明けてもまだ続いている。 岩を転がすことができた後藤ひとりという少女には朝が降る。『ぼっち・ざ・ろっく!』は端的にいえば正にこういう作品だった。 いやいや、原
生まれてこのかた自分がないことに気がついた。気がついたのは一昨年の冬だ。だが、それ以前から、自分には今しかないということに気がついた。 ないといってもどうないんだという話だが、その言葉の通り、今生きているまさにこの時間だけが俺に許されている。これを書いているのは午前5時だが、今日この日の午前5時しか俺には知覚できない。だから、明日課題をやっている自分も、来週説明会を受けている自分も、ひと月ぶりにバイトしている自分も、半年後に試験を受けている自分も、全て自分ではない。 そ
植松聖という男がいる。自分の働いている施設の障害者や職員を殺傷し、現在は死刑囚として死を待つ体となっている。 死刑になると聞いて、どう思っただろうか。嬉しいと思った人もいるだろう。日本で稀に見るようなヘイトクライムを実際にやってしまうという人間だ。死を望まれてもそこになんの違和感もない。やったことは許されるべきではない。 では、彼の死を望む人間はなにゆえ死を望むのだろうか? 障害者を殺すなんて弱者に対する暴力だから? 自分が障害者で、やったことが肯定されるのが怖
怒られる妄想に頭が支配されることがある。 自閉スペクトラムの人の中には、思い出し怒りはフラッシュバックとして起こしている人がそれなりにいるらしい。これは俺もよくある。バイト先の上司に「お前は中身がない。中身が軽いと言葉も軽くなる」と言われた日のことはいまだに忘れられない。冬になると毎日頭に浮かぶ。あとは、意識高い別の上司に渾身の告白をした時の暖簾に腕押し感も忘れられない。頭いい人なのに隣の世界のことを上面だけ捉えた浅い概念で捉えていて、俺はただの能力の低い人間だと思われ
0 発端 みらいさんという(みらいさん呼びでいいのか知らないが)発信者がいる。アカウントが3つあってそれぞれで発達障害に関する情報や想いをツイートしている。(メインは『みらいのリスト』でいいのだろうか) 結構な頻度で呟くのでよくツイートを見させてもらっている。普段なら引用ツイートで肯定なり反論なりをするのだけど、たまには趣を変えてちゃんとした文章にしてみたいと思う。 発端はこれだ。みらいさんのアカウントの一つである『発達障害のニュース』から、5月31日に投稿さ