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3年目

今の推しを応援して3年目に入る。

何もかもに興奮して、推しの行動全てが好きだった「痛ファン期」は過ぎ、徐々に落ち着いてきた頃だ。たくさんの幸せもたくさんのモヤモヤも両方感じてきた。もちろん、推し活は楽しいけれど、たまに応援している意味がわからなくなる時がある。

推しは、私が応援し始めてた時から明らかに“変わった”。当たり前のことだ。3年も経てば。私だって変わった。でも、それが許せないと感じる時がある。

推しは売れた。売れたから、色々な仕事をするようになった。それを全て楽しんで全力でやる姿は微笑ましい。けれども、最近、これまで軸としていた「劇場でネタをする」というものが少し薄くなってきたと感じている。ネタ以外の他の仕事で成功し、その仕事に対して大きな目標を口にするようになった。私は、推しがやりたいことを楽しくやってる姿を見るのは好きだ。でも、お笑いが、ネタが一番であってほしいという我儘がある。それは、お笑いの楽しさを教えてくれたのは紛れもなく推しで、劇場でネタを見るという、私の中の、お笑いの新しい扉を開けてくれたのが推しだからだ。そんな推しが、劇場に立たなくなるのは辛い。

推しは、今年で賞レースは最後、一区切りというようなことを口にした。一区切りって、そんなに重いことなのか。ああ、今年がたくさん劇場に出てくれる最後の年なのかもなと、少し寂しくなった。来年も再来年も変わらず出続けてくれるかもしれない。でも、「一区切り」という言葉が心に残った。推しがどういう意図で発したものかは分からないし、聞くのも野暮だ。

また、推しは以前、「古参は自分たちのことを変わったって言うけど、お前らも変わってるからな!変わるのは悪いことじゃないぞ!」と話していた。変わるのはもちろん悪いことではない。でも変わってほしくない気持ちは確実にある。それは変わる前のあなたを好きになって、そんなあなただから好きになったのだから、変わらないでくれと思うのも無理はないと思うのだ。

でも、変わらないでくれという気持ちと同時に、新たな活躍を期待する気持ちもある。推しには才能がある。きっと何をやってもこの人は成功するだろう。この人の才能を潰してしまってはもったいない。だからこそ、色々な業界の関係者に見つかってほしい。なんとも複雑な気持ちだ。

タイトルの「3年目」という年は、私にとってかなり重要な意味を成す年だと思っている。前の推しを応援するのをやめたのが3年経った時だった。今年を終えた時、私にまだ応援したいという気持ちが残っていたら嬉しい。今のところ、思う存分ライブに行くし、ラジオにお便りも送るし、ファンレターだって書く。良いところも悪いところもあるけれど、全部含めて結局大好きなのだ。

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