適応障害と言われた日(後編)
適応障害と言われた日(前編)(https://note.com/aoi_mori_bear/n/nb68dd2cd3cd1)の続きです。
その日訪れたのは、自宅近くの個人病院です。
新患受付が可能と言われたのは、翌日の朝からでした。診察は9時からですが、受付は8時から。受付時点で新患が2名となった時点で受付は終了。そうなった場合、また別の日に受付するしかありません。
前夜、私は眠れませんでした。またいつパニックを起こすか分からない。一刻も早く薬をもらわなくてはいけない。もし寝過ごしたら…。そんな不安で頭がいっぱいで、眠ることなどできませんでした。
朝になって、徒歩10分ほどの距離にも関わらず、私は7時には家を出たくてたまりませんでした。見かねた夫が車で送って行くから、付き添うからと、少しでも落ち着くように私に言い聞かせて、7時半に家を出ました。
初めて行く病院で右も左も分からず立ち尽くすしかできない私に代わって、夫が受付を済ませ、一度病院から出て車内で不安な時間を過ごしました。
その後診察時間が始まり、院内で順番を待つ間、私はずっと震えていました。聞かれるであろうことを頭の中で整理するのが精一杯で、出されたお茶も、落ち着いた雰囲気の待合室も、その時は感じる余裕はありませんでした。
やがて、名前が呼ばれると、診察室とは思えないほど、落ち着いた雰囲気の応接間のような部屋に通されました。待合室より少し格式高いソファに座ると、問診が始まりました。
過呼吸、不眠症、摂食障害、味覚障害。ざっと思い当たる症状を話し、その前に過労で内科を受診した際には特に問題がなかったことを説明すると、先生は迷わず「鬱かそれに準じる病気」であると仰いました。
私は10年以上前になりますが、立て続けに父と祖母を亡くし、不登校になったことがあります。その時の心療内科のかかりつけ医からは「鬱」という言葉は出なかったので、断言されたことに少し驚きました。ですが、それ以上に否定してほしかった気持ちもありました。
精神疾患は、一朝一夕に治るものではありません。
一定の期間治療をすれば、あるいは手術をすれば治るものではない。
それだけは分かっていました。
そして私がなにより辛かったのは、とにかく休みなさい、と言われたことでした。
ようやく家も落ち着いてきて、これから仕事に打ち込めると思っていた矢先だったのです。仕事は私の生き甲斐でした。
それを手放さなくてはいけない。
両天秤にかけた結果、私は手放せませんでした。
病院で出してもらった薬は当初非常に効果を発揮してくれ、その後もこれまで通りフルタイムで働きました。
しかし、一度限界に達した身体は、それを赦してはくれませんでした。
3週間働いては1週間休む。
2日働いては5日休む。
やがて1日のシフトをこなすことも難しくなり、働ける時間はどんどん短くなっていきました。
結果、休職することになり、医師から診断書をもらうよう会社から言われました。そこで初めて自分の病名を知りました。
私はどうやら「適応障害」だそうです。
ネットで見ても確かに思い当たる節はありました。医師の言う通り、もっと早く身体を、頭を、休ませていれば、治りも早かったのかもしれません。
今はそれを後悔しています。
適応障害と言われた日については、これでお終いです。
現在は別の病院で治療中です。初診からもう2年半も経つんですね。
転院した理由も、そのうち書きたくなったら書こうかなと思います。
ちひろ
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