臆病な私について。

はじめに。

閲覧いただきありがとうございます。あおいです。今日から少しずつ、このノートに自分の考えや思いを投稿しようと思います。

こういう公の場に自身の身の回りのことを投稿するのはダメなのではないか、と思う自分もいます。今はその詳細を伏せさせて頂きますが、いつかはお伝えしたいと思います。

葛藤の中で。

この”note”を媒体としての活動は、自分の中で大きな一歩だと考えています。先ほどこういった公の場で自分の考えを発信することは良くないことかもしれないと言いました。それには私以外の人も関わってくるので、今もまだ悩んでいる状態で執筆しています。ただ、自分だけの問題で無くなることを恐れて今まで幾度となく挑戦の場から逃げてきた私からすると、ここでの投稿は大きな一歩…勇気の一歩なのです。

自分を知った日。

色々な変化や次々と新しいものが生まれる現代において、変わりたくないと奥底で願う私は、自分で自分を”おかしい”と感じ、否定し続けました。この認識は間違っていましたが、こんな自分を最近は受け入れられるようになってきました。きちんとした理由があったからです。

私はHSPでした。そして、躁鬱の傾向があると診断されたのです。自分が訳も分からず”おかしい”と思っていたものに名前が付くことでこんなにも気分が楽になるのか、と安堵しました。しかし同時に恥ずかしいと思いました。今でこそ個性だ、性質だ、と割り切れていますが、当時はやはり自分は”おかしかった”のだ、と劣等感を抱きました。劣等感からくる憂鬱な気分は、なかなかに私を離してはくれなかったのです。

実行に至るまで1年。決意を固めるまで1分。

そういった劣等感もあり、私はますます人に対して臆病になっていきました。浪人が決定した時点で何かしらの活動を起こそうと考えていたのにも関わらず、一歩を踏み出せずにいました。

そこから1年。受験も終わり、新しい世界が見え始めたこの時期に、私はとても素晴らしい人と出会えたのです。今回は詳しく書きませんが、知り合って1ヶ月程で尊敬に至る人に出会えたのは初めてでした。その強烈な出会いもあり、決意は驚くほど早くに固まりました。その人から感銘を受けなければ、私は一生くすぶっていたような気さえ今ではするのです。

これからの私について。

今回はこの投稿に至るまでの経緯を書かせてもらいました。見てわかる通りに私は、本当は臆病で考えだけの頭でっかちなのです。自分の性質上そうなってしまうのは理解できましたが、いつまでもそのままでいるわけにはいきませんし、周りに頼ってばかりではいられません。たった1人で立つことは難しくとも、頼るばかりでなく、人を助けられるような人間になりたいと思うようになりました。とても難しいことなのはわかっていますが、ここから少しでも変わっていけることを信じて、発信させていただきます。お付き合い頂けたら幸いです。




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