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2週間ぶり2度目の

首都退避中です。
ルワンダからアディスアベバに戻った日から。

原因は民族対立による暴動発生。さらに各地の大学も荒れだしていて、ディレダワ大学では死者がでている。

ルワンダ滞在中の水曜日に調整員さんから第一報。任地のNGOなどから情報収集をして下さって、翌日には帰エチオピア後の首都待機が決定。その為、ルワンダから帰ってきた私はまだ家に帰れていない。

退避をどうするかは毎週金曜日に行われる国連の安全会議の結果で決まるらしい。だから今週だけで済むなら書かない方がいいかと思っていたのだけれど。

退避6日目の昨日、1週間延長が決まった。さすがに書かないと「この人隊員だけど活動は?」と思われてしまう。

既に思われていても仕方ない。ここ1ヶ月で配属先に行けたのは4日だけだから。総会、体調不良、任国外が被ってしまったのもあるけれど、さすがに我ながら色々考える。そしてその色々は大体がネガティブな内容だ。

任地に戻れるだろうか。
戻ったとしても信頼してもらえるのだろうか…「危なくなったらいなくなるじゃないか」と言われたら、私は何も言えない。
戻れても来年5月の選挙でまた荒れるんじゃないか。
そこでまた退避するなら、私の活動はどうなるのだろう。
サスティナビリティが大事と配属先に言いながら、今の活動が続いてない皮肉。
任地の人々はどうしているのか。
この感じで2年が終わってしまったら、私は協力隊で何を成し遂げるんだろう。

そして、私が考えてるのは自分のことばっかりだな、と気づいてまた嫌になる。


考えても仕方のないことだから。
そもそも、私は別に悪くないから。

体調のいい今は、そう言ってもやもやをぶった切ることがなんとかできる。

悲劇のヒロイン思考にならんよう気を付けねば。


なお今回は退避仲間がいる。別件で退避してる方が3名。これは南部のシダマというところが州への格上げを求めて選挙をしてるのに伴い「選挙結果によってどんなことが起こるか想像がつかない」為に退避している。何かが起こってからでは遅いから。

残念ながらエチオピアでは隊員の一時退避がさして珍しくない。私が赴任してから計9人、10回くらい発生している。うち3人は任地も変わった。それくらい内政が不安定だ。
そのために300万米ドルの損失があるという見解もある。根拠と出典は示されていないが。

任地に戻れても、戻れなくても、この情勢の中どう活動していくかをこの先ずっと自問し続けるんだろう。

なにが平和だ、と呟きたくなってしまう。
だって、落ち着かなくなったのは、あの頃からだ。

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