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旧炊飯器。新炊飯器。

最近、テレビCmで「お米って飽きないよね。家族のようね。」というセリフを耳にした。
お米は確かに飽きないけれど、家族に飽きるも飽きないもないんじゃないかと少し引っかかってしまった。

私の家族関係は、傍から見たら仲良しに見えていたし、私もこの形が当たり前だと思っていた。
だけど、私には負荷がかかることがおおかった。でもそれに気が付かずに「当たり前」だと思い生きてきた
負荷がかかり、メンタルを崩したり、家族のために動いたり金銭の負担もそれが当たり前だと思っていた。

時々、旦那さんが早く結婚して救いたい。というようなことを言ってきたが、救うとはなんだ。と意味がわからなかった。

結婚して、旦那さんと旦那さんのお母さんの住む家に来た。
CMの話に戻ると、お米に例えると炊飯器が変わった形になったんじゃないかと思う
今までの当たり前が、当たり前ではないと身をもって経験する。

今まで良しとしなかったことが許されたり、逆に自分の身を粉にするようなことがあったら叱られた

怒ってるんじゃないんだよ。と感情を明確に示してくれるという形になるまで、喧嘩したり泣いたりした事もあるけど 互いの取り扱いも上手くなってきた気がする

私、炊飯器が変わらなかったら、ずっと身を削っていたと思う。
でも、実家の家族が根っから憎い訳でもないから 時々寂しくなるけれど、理不尽な思いをしていたことは今更ながら理解し、時々深い悲しみになる時はある。

入籍をする1年ぐらい前から、この家に来て半年は、実家からの理不尽さな要求が酷く、私のメンタルも体もガタガタになり 旦那さんの判断で実家と繋がりを切った

時々、またあえる日がくるのかな。と思うけど、こればかりは分からない。

とりあえず、今の家族の中で
私らしくなりたい形をめざして 冷めても美味しいお米のような人間になりたい。

ハルコ