キッシンジャー『外交(上)』第1章「新しい秩序」

ヘンリー・A・キッシンジャー著、岡崎久彦監訳(1996)『外交』日本経済新聞社(Henry A. Kissinger, ‟DIPLOMACY”, 1994)を一緒に読んでいきましょう。

戦後、ハーバード大学に復学し、教鞭をとるようになったキッシンジャーは、アメリカの国家安全保障問題大統領補佐官(1969‐1975)、国務長官(1973‐1977)を歴任。1973年には、米中国交回復にむけた外交努力やベトナム和平交渉の成功などの功績により、ノーベル平和賞受賞しています。原著は、その後の1994年に出版されています。国際政治の、特に外交史における名著といえます。

1973年(50歳) キッシンジャー

では、第1章の「新しい世界秩序」を見ていきましょう。

本章のタイトルである「新しい世界秩序」とは何を指すのでしょうか(きっと、本書が書かれた1990年代において、ということでしょうけど)?

この問の答を探す前に、キッシンジャーは、バランス・オブ・パワーをこの上なく重要だと思っていたようです。この点は、以下の一節を読むとよく分かります。
「アメリカは約150年間、ヨーロッパ諸国を苦しめていた安全保障上のジレンマに直面することはなかった。アメリカがそれに直面した時、アメリカは二度の世界大戦に参加した。」「アメリカ人のほとんどが軽蔑していたバランス・オブ・パワーが思ったとおりに機能する限りにおいては、アメリカの安全は保障されており、アメリカが国際政治に引き入れられたのは、バランス・オブ・パワーが破壊されたからなのである。」

つまり、アメリカは、バランス・オブ・パワーが崩れない限り安全だった、ゆえに、バランス・オブ・パワーが崩れないよう、国際政治に関与していくべきなのだ、と考えているようです。

別の著名な国際政治学者(ハンス・J・モーゲンソー)は、バランス・オブ・パワーの目的は、短く言うと「多様性を破壊せずに、安定を維持すること」と述べています。すなわち、世界において、ある国が他の諸国より優勢となってしまえば、それらの諸国の利益と権利を侵害し、最終的には破壊してしまう可能性がある。しかし、それでは、多様性は失われてしまうので、いかなる国もその他の諸国より優勢とならないようにするということを目指す必要があるという考え方です。

ここで冒頭の問に戻りましょう。「新しい世界秩序」とは何を指すのでしょうか?何が「新しい」のでしょうか?

キッシンジャーが本章で言うには、
多国間(アメリカ、ヨーロッパ、中国、日本、ロシア、そしてたぶんインド)で、バランス・オブ・パワーを、初めて世界規模で機能させなくてはならなくなったこと。

キッシンジャーは、この「新しい」世界において、バランス・オブ・パワーを機能させることは、とても難しいと思っているようです。
理由は、第一に、バランス・オブ・パワーの経験に乏しい国が多いこと、第二に、それらの国が互いに大きく異なった文化を持っており、基本的な物の見方が異なること。

キッシンジャーが、上記2つの点について、アメリカをどのように見ているのでしょう。

まずは、アメリカは、バランス・オブ・パワーの経験が非常に乏しいと考えてるようです。キッシンジャーは次のようにいいます。「歴史上、アメリカがバランス・オブ・パワーに参加したことはない。」「アメリカ人はそれまでほとんど白紙の状態だった大陸に住み、二つの広大な海によって侵略から守られ、近隣国の力も弱かった。」「二つの世界大戦が起きる以前は…バランス・オブ・パワーを好き勝手に批判するというぜいたくを享受していた」。また、「冷戦の間、アメリカはソビエト連邦との…闘争に明け暮れていた。」「バランス・オブ・パワーとは全く異なった原理に従って動いていた」(そもそもキッシンジャーは、人類の統治の歴史において、一つの力が圧倒的な状態(「帝国」)がほとんどであり、いくつかのパワーが均衡(バランス)する状態は例外だったと見ているようです。)

次に、アメリカの世界の見方は特殊だと断じています。キッシンジャーいわく、「アメリカの指導者達は、彼らの価値観を当たり前のものと考えているので、この価値観が他の人々にとってはどんな革命的で不安定なものであるかにはほとんど気づいていない。倫理上の原理を、個人に対するのと全く同様に国際的な行動に適用しようと主張した国は他にはなかった」、とのことです。

キッシンジャーは、アメリカを、バランス・オブ・パワーの「素人」だと見ているようですね。

次章以降、稀代の外交家が詳述する外交史を、一緒に見ていきましょう。


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