3/11 ある「その日」だったというような感覚(書くことがない その十)

長らくnoteを書いていなかった。『シン・エヴァンゲリオン』に心打たれてブログ記事を書いたりはしたが、仕事が忙しかったし、体調が悪かった。何より書くことがない。

前にも書いたように思うが、やはり、本や映画の感想を除くと、人間と人間らしく出会わなければ、何かを書こうという気持ちに、なかなかならない。そして生きている実感も得られない。「生きている実感」とは実態のよくわからない言葉だが、私には、昨日や一昨日や三日前、水曜日や火曜日、あるいは何月何日というような日付の感覚、ではないかと感じられる。昨日や一昨日には何があり、何日には何があり……うまく表現できないが、本や映画を見るよりも、人間と人間らしく出会った日の方が、ある「その日」だったというような感覚がある。

昨日も一昨日もない日々が続いている。仕事ばかりの日々。これは随分前に気づいたことだが、本や映画は、私にとってはどうやら人生の代わりでしかないようだ。今日書いてみたことに照らせば、私にとって本や映画は、人間との人間らしい出会いの代わりでしかない、のかもしれない。

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今日は三月十一日だ。大きめの地震程度にしか体験しなかった私には、もうそれほど湧き出てくる感慨がない。遠い日の、遠い出来事となってしまった。

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