8/2 強調の弊害

何となく読んでいた他人のnoteの記事に、太字強調のされた一節があったが、太字強調は本当にすごい。何というか、太字にされた部分は誰にとっても重要なことであるかのように感じられる。

そういうのを見ると、太字やカラーによる強調でおもしろおかしく演出されていた往年のテキストサイトを思い出すのだが、たまにはビジネス書や自己啓発書などと呼ばれる本を読むことがあり、私の慣れ親しんできた他の本と比較すると、そうしたジャンルの本には太字や傍線による強調が結構見られる。国語の授業なんかでは線を引くべき箇所(たとえば、段落の要点)を示したりするものだから、初めから線を引いておいてくれるとは、特に近年の本に増えてきている印象なのだが、親切だなぁとは思う。しかし、今ふと他人のnote記事のしょうもない一節が太字に強調されていて、その一節が誰にとっても重要なことであるかのように感じられて、ちょっと危機感も持ってしまった。つまりは、太字強調には、ある読者にとって本来は「しょうもない」一節であるところを、重要な一節であるかのように誤解させる弊害があるわけだ。私などは、前持ち主によってマーカーやアンダーラインの引かれた中古書籍などを摑まされると舌打ちをしてしまうほど、そういう誤解をさせかねないものに対して嫌悪感があるのだが、筆者によるものも、実は前持ち主によるものと同じくらい嫌悪感をもって当たるべきなのかもしれない。

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