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文化祭も体育祭もできることがほとんど皆無で、授業も学校生活も制限だらけで、生徒らの喜びや苦しみもまた、「密」であることに依っていたのだと気づかされる。

社会には、許容されている、されざるを得ない「密」が緊急事態の中にあって確かに存在していたが、それらの仕方なさと同じくらいには学校における「密」にも仕方なさがあるのではないかと、半ば幼子のだだをこねるが如く、言いたくなるが致し方ないか。

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