6/10 やりきれない

教室でもどこでも、私は元々うまくやれる人間ではなく、けんかもすれば、いじめられたりいじめたりもし、不真面目にやってきて、いわば不真面目にやりすぎて折れてしまったこともあったが、真面目にうまくやってきた人々でも、おそらく、「こんなものだろう」と適当にやれないことで、「こうあるべきだ」と、うまくやれると信じてやりきろうとすると、折れてしまうことがある。

前の職場で、同期の同僚が病休に入ったが、やはりそのような感じだった。真面目で、ユーモアもあり、何でもこなせる人物で、何でも任される立派な人物であったが、折れてしまった。うまくやりきりようのないことをうまくやりきろうとして、加えて、学校というのはあまりに幅の広い概念で、その端のような学校で働くことになって、その仕事内容と自身のイメージとのギャップも、確たる理念か理想かを持つ人間にはなかなかきついものなのだろう。

などと理由を考えみるが、もちろん運もある。そういう人でうまく教員を勤め上げるらしい人たちもいる。しかし何にせよ、何とか適当さと狡さをもって生き抜いている身として、そういう真面目な人が折れてしまうのを見ると、助けるほどの力もなく、ただやりきれない。

彼は確か、公民館か何かの職員をやめて教員になったのだった。ユーモアもあり、男気もあり、仕事もできて、趣味もよく、かなりの好人物であったが、今は、何をしているのだろうか。元気にやっているのだろうか……。

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