20220418 「小説好きなど狂人と同じ」

先日、妻と、マームとジプシー『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』を観に行った。私は、ここ10年でこの演目の芝居を観たのは3回目で、10年老いても中学生を演じ切る役者たちにはもはや尊敬の念を感じたのだが、妻の方は、どうも不満げで、簡単に言えば、登場人物たちの感傷がナイーブなものに感じられたようだ。自分はそうした感傷は処理して生きているのに、こだわり続けていることへの「嫉妬」かもしれない、と妻は話していた。

しかし、確かに作家というものは、子供時代の、あるいはいつかの傷を、いつまでも引きずるような人種なのかもしれない。ある種の作家、と限定すべきなのかもしれないが、しかし、私の観てきた、読んできたさまざまな作品を思い出すに、そうした「傷」への執着が、多くの場合あからさまに、作品の中枢に存在しているような気がする。

そして観客とは、読者とは、そうした「傷」への執着を共有できる者なのかもしれない。最近読んだラディゲ『肉体の悪魔』には「小説好きなど狂人と同じで逆らってはいけない」という言葉があったが、自分も含まれているらしいこのサークルは、かなり狭いものなのかもしれないなと、妻の感想を聞いて思った。

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