7/13 好きな本を聞く/『グレート・ギャツビー』『子どものミカタ』を読んでいる

今学期最後の授業で、残った時間で生徒たちに好きな本を発表してもらった。書いてもらったわけでもなく、誰もメモなど取るはずもないし、なかなか、推薦した本を他の子が読むというような楽しい効果は期待できないのだが、単に人の好きな本を聞くのは楽しい(余談で、これは知らなかったのだが、先日読んだ記事に学んだが、愛読書というのは採用面接では聞いてはいけない質問らしい。なるほど……)。印象に残ったのは、『野菊の墓』という回答、『7つの習慣』という回答。まあ、私の元々知っている本を挙げる回答しか印象に残らないのであるが……。というわけであまり覚えていないのだが、しかし、やはり本屋大賞に選ばれるような小説は大勢が挙げていて、その他にも、あからさまに泣けそうな同じタイトルを挙げる子たちが多かった。私の知らないだけで、若者の大勢に共有される本というのはいつの時代にもちゃんとあるんだな、などと思う(とはいえ、東野圭吾や、伊坂幸太郎や、辻村深月や、私の中高生の頃と変わらない顔ぶれではある。住野よるはいなかったけれど……。あと、『世界の中心で、愛をさけぶ』はもう誰も知らない)。

---

僕は思うのだが、彼の心を何より摑んでいたのはデイジーの声の中にある、ふらふらと揺れる、ほとんど発熱に近い温もりであったに違いない。なぜならその声だけは、どれほどの夢をもってしても凌駕することのできない特別なものであったからだ。その声はまさしく不死の歌だった。(フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳)

「彼」とはギャツビーのことで、彼が五年間、会うことのできなかった女性の夢を膨らませすぎたせいで、その夢が現実の彼女を越えてしまっていたというような語りの後に、このようなことが書いてある。なるほど、確かに声というものは、いくら頭の中で形作ろうとしても、なかなかうまくいかないものだ。人間において最も「生もの」であるところの声。

---

山登敬之『子どものミカタ』を読み始める。一般向けに過ぎ、今のところ特に目新しさはない。むしろかつて読んだ『子どものための精神医学』を読み返したくなる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?