20211207 「スタンド・バイ・ミー」を読む

理由は忘れたのだが(かつては手の届く範囲にあるあらゆる本を、どんな本でも、読んでいたものだが、理由がなければ本を手に取ることができないようになって、久しい)、スティーヴン・キングの『恐怖の四季』を古本屋で手に取り、「スタンド・バイ・ミー」を読んでいる(訳は読みやすいのだが、ひどい邦題だ)。しかし、「スタンド・バイ・ミー」もそうだし、最近知った、というか、知っていたけれど意識していなかったというか、映画『ショーシャンクの空に』の原作もこの『恐怖の四季』の春にあたる「刑務所のリタ・ヘイワース」であって、「はじめに」によれば、これらの中編小説は「大仕事(長編――引用者注)を終えても、手ごろな長さの中編を一本ふくらませるだけのガスが、タンクに残っているようなあんばい」で書かれたというのだから、凄まじい創造力である。

読んでいると、純/大衆文学と、日本のようには切り離せない文学の伝統を感じる。例えば、フォークナーやヘミングウェイに言及しながら、いかにもホラーめいた(と感じるのはスティーヴン・キングへの先入観があるからか)、わかりやすすぎるイメージが挿入される。そしてまた、これだけアメリカ合衆国のドメスティックな固有名詞を並べておいて、「読みたい」と思わせるのは、物語の為せる業か、アメリカ文化の為せる業か、はたまたアメリカと日本(で生まれ育った私)との関係が為せる業か、などと考えさせられながら、読んでいる。

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