20210926 高校演劇の1時間

1時間の演劇が作れない(私が作っているわけではないのだが)。前の作品は、ファンタジーな世界設定を伝えるためにどうしても90分必要だった(無理やりもう少し短くした)し、今回は、高校生たちの学校を舞台にした芝居で、起承転結の最小限の要素しかなく、30分くらいになってしまった。そこから照らして逆に考えてみると、1時間の演劇というのは、高校生が作るものとして、観客が、無理なく、その世界に入り、感情を動かすことのできる、過剰でも不足でもない程よい規模なのかもしれない。(もちろん、数時間の長大な芝居でも、数分の芝居でも、そういうことが十二分に可能だということは演劇史が証明しているが、そのような作品作りにはプロフェッショナルな技巧が必要だろう。)

本校の演劇部にはおそらくほとんどまったくノウハウの蓄積というものがない(小道具の蓄積はある)。たまたま、都立駒場高校の2代の芝居を見たことがあるが、もちろん別作品で、別の作者・演出家なんだけれども、台本作りの技術が確かに受け継がれているのを感じ、内容はさることながら、その継承に感動したものだ。もちろん、もっと長いスパンで継承されるものなのかどうかはわからないが、たとえ数代、1、2代でも、継承されるものがあると、作品のレベルも上がっていくのだろう。

今回の作品に関して言えば、起承転結の最小限の要素を30分に詰めてしまったが、起の部分をもう少し膨らませて丁寧に書けば、自ずと必要な承転結も膨らみ、もちろん長ければいいというものではなく、しかし、観客を取り込んで感情を動かすのに必要な程度の規模が得られたかもしれない。そもそも途絶えるかもしれない小さな部活であるから、うまくいけばまだ数年は関われるだろう私が、こういう反省を覚えておこうと思う……。

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……しかし、このように教員の仕事は楽しく魅力的なのだけれども、こうも休日がない(今日は16連勤の3日目だ)と、心身の健康が問題になってくる。まだ数年は、と書いたけれども、本当に続けられるのだろうか……。

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