3/4 マリファナもなし女もなし

毎日いろいろな誓いがぼくの身体から落ちていく。
授業中、時々変な気持ちに襲われる。特に朝イチの英語の時。でも今回は講堂の近くの自習室で、あの変な気持ちになった。突然、マシンガンを手に取り、狂ったようにみぎがわに撃ちまくりたい強い衝動。

マンハッタン少年日記』を読み始めた。少年たちの徒党が引ったくりをしたり、毎日のように薬をキメたり、電車内で女の客が足を開いてパンティを見せたり、なかなか想像の及ばない環境ではあるが、十代の少年の、どこか覚えのある感情たち。

人から注目されるようなことをしなければ……人々が指差し、実際に見つめるよつなことをしなければ、誰も注目してくれない。バスケットボールのコートの中だけではない。何ごとであっても、見た目がいいということは、実際にきちっとやっていることと同じくらい重要だ。これはぼくの生き方の理論さ。

ここなどは、まるで『徒然草』のようである(無論、兼好はこのようなことに価値を見出さないだろうが、「生き方の理論」の語りっぷりとして)。この一節の書かれた日記の末尾には次のようにある。生き方の思索には「徒然」であることが不可欠なのだろう。書くことのなさ、それでも書くことが……。強烈な一文だ。原文で読みたいものだが、Amazonなどで探しても手頃なものを見つけられない……。

とにかく今日は、マリファナもなし女もなし、追いかけてくるホモもいないので、何を書いたらいいのか、わからない。

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