1/11 『読むことの風』『見ることの塩』を読まない

妻から『読むことの風』という本があることを聞き、私の本棚にある『見ることの塩』を連想したようなのだが、あいにく私も妻も『見ることの塩』を読んでおらず、本棚から取り出して表紙を眺めつつ「見ることの塩」とはどういった意味なのかと想像した。「パレスチナ・セルビア紀行」と副題にあるから、パレスチナ・塩の連想で『旧約聖書』のロトの妻の塩柱の話が思い出されもし、それに関係するのかもしれないが、塩柱についての知識がないからかもしれないが、「見ることの塩」の意味は見えてこない(ロトの妻は神に振り返るな=見るな(?)と言われたところを振り返って=見ることによって(?)塩柱となるわけで、つまり塩とは神に背いて「見る」ことの報いを意味しそうだが……)。「塩」を単純な比喩と捉えると、ほとんど必須の調味料であり、あるいはそれだけで味が整いもし、「見ること」におけるそういうものを、指すのだろうか?

読めば答えもあるのだろうが(ないかもしれないが、読まなければそれさえわからない)、結局『見ることの塩』は改めて積まれることとなった。

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