20211116 映画を細切れに見る

一昨日、アマゾンプライムビデオにあって、数日後にプライムビデオから消えるというから、映画『バーニング』を見始め、しかし集中しきれずに、途中で止め、今日もまた続きを見て、しかし最後まで見ることができなかった。『バーニング』が大変よくできたすばらしい映画なのはさておき、このような映画の見方には、私はなかなか抵抗を覚えた。映画というものはぶっ通しで見るものだ、8時間の映画なら8時間見続けるのだ、などと考えて、そして実践して生きてきたわけだ。

しかし、体力も衰え、しなければならないことは増え、一日はますます短くなっていき、そうも言っていられず、仕方なくこのような見方をしてみると、開き直って、映画館じゃああるまいし? なぜ家でパソコンでアマプラで見るのに、ぶっ通しで見なければならぬのか、ワンタッチで止められワンタッチで再開できるのだから、止めたっていいじゃないかと、そのような気持ちになってきた。

思えば小説でも何でも、本は細切れに読んでいるではないか。かつて書き言葉は、語り継ぐその現場から聞き手を解放し、細切れに物語を楽しむ読者の自由を生み出したのかもしれない。個人化され、携帯化され、操作の容易になっていく再生機器は、私たちに、私の気づかぬうちに、そのような自由を与えていたのではなかろうか。

まあ、本当は通して見たいものだが……。

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