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あなたは頼った相手に、ちゃんとそのぶんの対価を支払っている。

「ありがとう」って言われると、誰でも嬉しいはず。

でもその喜びが、人の何百倍もの大きさで感じられる人がいると思う。


先日取材をした、とあるインストラクターさんの言葉が、強く心に残っている。

それは、「みんなが喜んでくれたらそれでいい。それがご褒美。(それ以上に)もう何も望みはない」という言葉。

「きれいごと」に聞こえてしまいそうなこの言葉を、さらっと言えてしまう人柄に、少し圧倒されて・・・。

そこでふと思ったのは、このインストラクターさんは、誰かの「ありがとう」に、人の何百倍も喜べる人なんじゃないかって。

どうしてそういう風に、大きな喜びを感じることができるんだろうって、とても不思議というか、うらやましく感じた。

すごく興味が湧いて、インストラクターさんを観察しながら、考えてみることに。

それで、たどり着いた結論が、この人は「今までいろんな人に助けてもらってきた人」なのでは?ということ。

いろんな人に助けてもらってきて、最大限の「ありがとう」を言ってきた過去がある。

この人自身の「ありがとう」に重みがあるから、受け取る「ありがとう」の重みも人より大きいんじゃないかなと。

抽象的な表現だけど、要するに、人に心から感謝できる人は、人からの感謝もまるっと受け取れるじゃないかな。


「ありがとう」
助けたほうは、かけられたその言葉が大きな喜びとなる。
励みとなる。
それがいわば報酬だ。
お金では買えない、得がたい報酬である。
あなたは頼った相手に、ちゃんとそのぶんの対価を支払っている。
それくらいの気持ちでいよう。

「最大化の超習慣」より引用

誰かを頼った時に、肩身が狭くなるような思いをしたことがある人は少なくないはず。

それは、「返報性の原理」と言って、誰かに何かをしてもらうとお返しをしたくなるという法則で明らかになっている。

でも本当は、心からの「ありがとう」を伝えるだけで、「ちゃんとその分の対価を支払っている」のかもしれない。

そしてそれを受け取る側も、感謝の気持ちをまるっと受け取ることで、最大限のご褒美に感じられるのかも。

結局のところ、「人を頼れる人」っていうのはそういう人なのかもしれない。

自分自身が、感謝の言葉を「ご褒美」と思えるから、自分が伝える「ありがとう」も相手にとって大きな喜びになると信じて疑わない人。

だから躊躇なく人の助けを借りられるし、逆に人も助けてあげられる。

そういう人が成功するのは、当たり前なのかもしれない。

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