村つくりと、「安全基地作りのサポート」について

安全基地作りのサポートをしたい。

暮らし方が、実家・1人暮らし・結婚して核家族がオーソドックスなことににリスクを感じているため、開いた暮らしを作りたい、と思って現在、実際に住まいを開いての村作りに挑戦中です。
遊びに来てくれる人、関わってくれる人、応援してくれる人が増えたら嬉しく思い、今からラブレターをしたためます。

便宜上、村づくり、というワードを使っているけれど、どんなことを目指しているの?というと、キーワードとしては、複数の安全基地作り・ケアの目がたくさん届く暮らし方、共同体作り、居場所を主体的に作る事に挑戦できる環境作り、といった感じです。

その人が丁度よい関係性で、距離で、丁度よい数、それぞれ丁度いい期間、安全基地を持つには?家族以外の相互扶助とは?
この住まいからならそれに挑戦できると思い、2023年7月から都内某所の20人ほどで住んでいる、開けた住居に住み始めました。

なぜ開けた住まいが必要なのか

閉じた環境で関係が固定化すると、順調な時はいいけれど、ちょっとした揺らぎで息苦しくなることがある。
例えば、少し暴力的な人と少し自信がない人が一緒に生活する中で、DVを受けても自分に非があるのでは?と思う被害者が生まれる事もある。
仕事が忙しい夫と育児に忙しい妻が余裕がない中憎しみが蓄積して、修復が出来なくなる事もある。

妹夫婦が揉めている時期も乗り越え関係を修復できたのは、お互いに周囲に友人や実家があったことは大きい。
一緒にネット系の仕事をしながら同居をしている友人は、「2人で住んでいるだけだと関係が固定化しちゃうから」とたまに他人を住ませたり、友人を招いてパーティをしている。
人間関係もたまに他人を入れて風通りをよくしたり、他人を入れて複数の目に見守られることでケアをされることも大きい。

私の育った家はケンカや暴力の多い家だったが、今思うと両親ともコミュニケーションが下手で、助けてもらえる人も近くに居なかっただけなんだなと思う。
私たちの世代は、親が地方から出てきて地縁が無かったり、血縁が周りにいなかったり、男性は仕事だけしていれば良かったり、女性は仕事を続けるのが難しかったり、繋がりのない親に育てられている人も少なくないのだと感じる。
ネットもない時代に大変な事だったのではと思う。

家に安全基地が無かった人が、外の世界で安心を得るのはとても難しい。
人と仲良くなる方法も、人と一緒に居て安心する事も、知らないままの人は少なくないのだと感じている。

私は1年かけてカウンセリングをして、対話活動をして、仲良くなる方法をワークショップで学んで、人と住んで、ボディワークをして、やっと安全基地の足場を得て、外の世界に冒険できるようになったと思う。
ひとりで、色々な人のいる中に冒険をして、安全基地を手に入れていくことはとても難しいことだと感じている。
結局は自分で行動して努力していかなければならない所ではあるが、「どんな場所で冒険するか」でハードさは全然違う。
条件付きの承認・愛・役割を果たすことを求められる場所では、心から安心する事は難しい。(職場や学校、プライベートや家庭もそういう場所になっている事もある)
相手への優しさや善意を持ちつつ、でも下手さや弱い部分を出しても大丈夫な場所、無条件の承認・愛・居場所を後から得ることはとても難しいのだ。
また、飢えているときは、そういった期待を一人にかけて、過剰な期待や甘えや依存が膨らみ、とんでもない負荷をかけてしまいがち。
だからこそ、場所として、構造として、緩やかに、距離を各自で測りつつ関われる場所が必要だと感じている。

他人と居ても一線を越えられずよそよそしいまま、でも他人と一緒にプライベートを過ごすと一線を越えてもめることがある。
でも、もめても別に関係は終わらないし、なんとかなったり何とかならなかったりする。そんなもんだ。という経験をできるのは、村的な距離感だからこそだと感じる。

大人数で住んでいると日常生活でもめる。自分も他の人も揉めたりする。でもそれでもあきらめず関わったり、距離が離れたり、そんな感じで日常が進んでいくことを間近で見られることは、とても勉強になる。傷つきも生まれるが、癒しも生まれる。
誰にでもお勧めするわけではないけれど、たまにごはんに来たり、近居したり、関わりたい人たちをマッチングしたり、仲良くなるため・人と居続けるための実践的なサポートが出来るのではないかと思っている。


現状そんな感じで、遊びに来てくれる人、関わってくれる人、応援してくれる人が増えたら嬉しく思っています。

現在の活動内容はこちら
https://note.com/aoi000/n/na21eca2bfb69

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