XになったTwitter

私が観測する範囲では概ね反応は否定的である。かくいう私も20年弱のTwitterユーザーであり、青い鳥が去ることに一抹の寂しさを覚える。

しかし私はTwitterそのものではないし、Twitterを管理するものではない。従って本件に抵抗することは出来ない。だから今回そういうことを述べたいわけではない。

ありとあらゆるものは変わりゆく。変わらないように見えるものは、そういう風に尽力して変わらぬように見せているだけであって、内側では急速な時流に逆らい続けているのだ。それがいいときもあるし、そうでないときもあるし、良かったとか悪かったを決めるのは第三者ではなく、当事者である。今回のXへの変更は、私がユーザーである以上は当事者の側面もあるだろうが、それはきっと違う。私はあくまで乗組員であり船ではない。船は乗組員が居なくてもそこにあるが、船のない乗組員は無価値だ(少なくとも船を操舵する技術についてはーもっとも、ツイッターユーザーにそれほどの技量的価値は当然ないから、さらに価値が下がる)からだ。

きっとイーロンは変えたかったのだろう。何をどう変えていきたいかは私がイーロンではないからわからないが、かつての赤字体質、隠された選民思想、無料に依存する悪しきユーザー等、変えたいのだろうという対象はそこかしこにあるように思う。だから今回の変更は狼煙なのだ。変化への狼煙。見えるところから変わらぬ限りは、見えないところはもっと変わらない。私はそういう変化をし続けたいという姿勢を応援したいから、今回については特に反対する気もないのだ。

もっとも、Xに変化した日に騒いでいたユーザーのほとんどが今は静かになっていることからも、別にどうでもいいことだったという話でもある。静かに船を降りた者もいるだろう。本当の変化はこれから来るはずであり、その時に単なるユーザーの私がどう思うかのほうが大事である。他人はいつだって適当だ。イーロンの思惑通りの反応もあれば、そうでないものもあるだろう。私は最後までイーロンがやりたいことを貫けるよう祈っている。下らぬ戯言に惑わされることのないように。


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