ポルノと嘘が溢れる世界で

文字、紙、文字、絵、イラスト、写真。様々なところでポルノや嘘は人の興味を掻き立てる。だからこそ様々な媒体で目にする。「売れるため」「見てもらうため」「紙面を埋めるため」様々な接頭語と共に人は売り、「別見たくないけど」「目的は別にあるけど」「期待とは違ったけど」様々な言い訳と共に人は買う。

コミュニケーションは定型化しがちだ。挨拶、礼儀、慣用句。気が付けば同じ言葉や同じ振舞を繰り返してしまう。本来人と人は千差万別、時が違えば場合も違い、必要とされる言葉も違うはずなのに、混濁した蒙昧な過去の記憶に縋り、失敗を恐れるのか、それが正しいと妄信するが故か、気が付けば己が口から似たような言葉が繰り出される。

それでいい、今までも、これからも。そうやって世界は回っていく。それは普遍の真実であるがゆえに、永遠の虚偽でもある。「それでもいい」は「それが最善」ではない。思考を文字に起こすことその行為自体が、文字に込められた過去の記憶を参照している。私が今綴るこの言葉にも、真実と矛盾が同一の割合で混ぜられている。

もしも自分だけの言葉があるとすれば、それは誰にも響かぬものである。言葉の意味が失われ、言葉が言葉である必要がなくなるとき、ここに綴る意味もないのである。しかしそこには確かな真実があるのではないだろうか。言葉によって言葉ではないものを語るとは、どういうことなのか、今の私にはここまでしか言葉に出来ない。

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