1000文字

自分が文章を書くとき、大体文末まで1000文字くらいなら殆ど苦にならず書ける。殆ど脳みそも使っていないような気がする。これは特技でもなんでもないと思っていたのだが、何かしらの試験や、寄稿で簡素に作文せよというときに1200字前後が求められることが多いようで、自分からすればなんだ楽勝だと思っていても、結構苦戦する人も多いようだ。

そもそもあるテーマを与えられた時、1000文字も書けないということが自分からすれば理解できない。自分は公務員をしていて、日々文章を書くような仕事をしているからかもしれないが、自分のまったく興味がないことであっても、意味不明な見たこともない科学用語でなければ何かしら述べることはできる。それが薄っぺらく意味のないものであったとしても、1000文字を満足させるのは出来る。大体意味があるかないかなどという主観的な価値は、「作文せよ」という命令に含まれない。意味不明なのはダメだが。

とはいっても、1000文字の作文であっても殆どの人は読まないし、読んでも読んだフリをしているだけで、その人の言わんとしていることを理解しようとする人なんて皆無だ。というのも自分がそうだから、という解釈を他人に当てはめてもいるが、どれほど丁寧に言葉を尽くしても心は伝わらないし、極稀に伝わった時は幸運に恵まれたとき、と思うべきだからだ。言葉は常に誤解を生み、偏見と常識によって曲解される。自分の言葉というものは、自分の内にある間はある種の真実性を含むが、外に出したとたんに腐敗し汚臭をばらまくものだ。

言葉に限らないが、コミュニケーションのすべては内向性を孕んでいる。という単純な事実さえこの世では殆ど認知されていない。他人の言葉というのは常に観測する自分の脳があってこそ、という当たり前が理解されない。政治なんかは特に分かりやすくて、政治家のやることや言うことが、人によって理解が異なるというのを色んな奴が喧伝するし問題に取り上げるのだが、身近な人のコミュニケーションになると、途端にそういった認識を持たなくなる。人間とはかくも愚かで、外部の観測できる事実を、自分の行動範囲に、行動原理に落とし込めないのだ。

という感じで概ね1000文字を書いて伝えたことは、多くの人間は1000文字すら書かないし読まないし理解しない。バカで愚かで、読まれもしない1000文字を休みの朝に書いている私は愚の骨頂、ということである。

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