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12/26

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クリスマスから一夜明けた今日は2023年12月26日、火曜日である。何となく"2023年"という響きになれない、新年の気分のまま年の瀬を迎えてしまっている。例年ならば9月も過ぎればその年と響きに馴染んでいくものなのだが、なぜか今年、2023年だけはその感触をどうにもつかめずにいる。私が生まれる3年ほど前、1900年代から2000年台に突入したその年の人も同じ気持ちだったのだろうかと思いを馳せてみる。そして今年はあと5日である。富士登山で言えば約9.9合目という、階段も残り数段のところまで来てしまった。そんな今日に私は三日坊主の代名詞でもある日記をつけ始めてしまった。あえて”しまった”という表現にしたのは、これまで幾度となくルーティンワークに挫折してきたからなのである。その度にほんの少しの絶望を味わいはするものの、特段悲しみに暮れるわけでもなかった。性懲りも無くまた無謀なルーティンワークに身を投げてみる。

一年後の私へ

きっと日記は続いていないと思うけど、落ち込まないでください。いつものことです。こんなことを書いていたことすら忘れている可能性が限りなく高いけれど、こんな日もあったと軽く流してもらえれば結構です。

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何も唐突に日記なんてものを書こうと思ったわけではない。思い返せば書く理由なんていくらでもあったのだ。以下に主たる理由を陳列してみる。

  • 先輩の一言(大学で日本語を専攻している先輩より、「詩を書きたければまずは日頃の些細なことを文章で表現するのが始めやすいよ」とのこと。)

  • 留学で某北欧の彼の地で奮闘する友人のルーティン(日々頑張っているなと感心)

  • 2日前から久しぶりに文学作品を読み始めたことの影響(繊細な言い回しが数時間にして体に染み込んでしまった。)

  • 制作仲間からの文章を書くことの勧め

  • 自分の貧相な語彙力と彩のない表現力への絶望

ざっとこんなところである。直近の私により強い影響を与えているのは後半の方である。今もかなり背伸びをしているところだ。何しろ1日目である。気合いが入りすぎて空回りしつつある右脳をどうか暖かく見守っていて欲しい。
思いついたことを重力が如く、疑いもせずに書き連ねてきたことで早くも文章が発散してしまった。このまま抑揚もなく無味無臭なクレジットを並べるわけにもいかないので一言でこの章をまとめなければならない。
詰まるところ私は文章を書くことで自分の”日本語の表現力を磨きたい”のだ。
ここまで引き延ばしておいてあまりに捻りのない文章だと瞬時にわかる。簡潔でわかりやすい表現と読んでいてワクワクする文章は表裏一体なのだとたった今感じたところである。自嘲気味の小言はこの程度にしておこう。

改めての今日の一コマ

18:44、いつも通り各駅停車の東西線を葛西で降りる。仕事帰りなのか、学校終わりなのか、実に大勢の人でプラットホームは人でごった返していた。千葉県江戸川市などと揶揄される江戸川区であるが、23区第5位の人口約69万人を誇る区である。(都市と言いたいところであるが、そこに難癖つけたがる人を配慮しての表現)
一番端の10号目に10号目に乗っていたため、なかなか進めずにいる。次の列車の接近を知らせる前方の掲示板には上部に鳥避け用の針金が空側に向けて取り付けられていた。仮に人間があの上で転んだらどうしようかと、考えたところで、ハッとあることを思い出す。今年巷で流行していたものの一つに、MBTI診断というものがある。数多くの質問に正直に答えることで、人間のパーソナリティを16種類(正確に言えば32種類か)に分類しようというものであった。いわばこれまで血液型で行われていた事がさらに細かく分類されたようなものであろう。私自身血液型で性格がある程度分類されるということに対しては懐疑的であるので、あまり乗り気ではなかったが、何度か診断を行ったことがある。何度やってもENTP-Aという診断は変わらないのであるが、確かに自分に当てはまる部分があるかもしれないという節は散見された。その中の一つに"想像が飛躍しすぎ"というものがあったことを思い出した。つまり、先ほどの私の例で言うと、実際に人間が鳥避け用の針金に刺さることは考え難いが、その想定をしていると言うことが当てはまるのではないか。そんなことを立ち止まって考えているうちにプラットホームを降りるために並んでいた人はほとんどいなくなり、葛西から千葉方面に向かう電車を待つ人がその場の多数派を占めるようになっていた。ちなみに私はハトが例の針金にかかり悶えている姿を何度か目撃したことがある。
以上が今日のハイライト"鳥避けからMBTI診断思い出してみた!" である。明日以降の継続に期待小!

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