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1年4か月の会社勤めを終えて、私が選ぶ次の道

「拡声器使えばいいんじゃない」

これが、私が自分の会社に見切りをつけるきっかけ一の言になりました。

今日までの経緯

2021年4月下旬、私は発熱から始まった風邪をこじらせていました。
熱は2日ほどで下がり、検査の結果コロナでもなかったので仕事に出ていたのですが、深夜からえずくような咳が止まらなくなり、翌日には声がほとんど出なくなってしまったのです。こんな体調不良は初めてで、怖かったし、不安でした。すぐに内科にかかるも明確な原因は分からず、その状態で仕事をせざるを得なくなりました。

ここで良くなかったのが、私の仕事が人前に出る接客業だったことです。声を出さなくていい裏方の作業を回してもらえるよう、周りにも事情を説明していましたが、万年人手不足の環境では、お店が混めばフロアに駆り出されてしまうであろうことは想像できました。上司に自分の声の状態、咳がつらいことを訴えましたが「拡声器使えばいいんじゃない」と(おそらく本人的には冗談交じりだったのでしょうが)笑って軽くいなされ…私にとってはこれが、自分でも驚くほど大きなショックでした。私にとっては、本当につらい症状だったのに。そして「やっぱり出てくれないとフロア回んないわ」の一言。
ここで私は、きっと断るべきだったのだと思います。こんな声の状態でお客様の前に出られないと。しかし私の性格上、あの時あの場面でそれを断るということはできませんでした。私のカッスカスの声を耳にしたお客様の戸惑った表情、私はまだ忘れられません。

結果、私の声は完全に出なくなりました。やっとかかった耳鼻科での診断は、急性咽頭喉頭炎および急性声帯炎。1週間の沈黙療法(声出すの禁止!)に取り組むことになったのです。

幸いだったのは、丁度この頃に3度目の緊急事態宣言が発令され、普段なら繁忙期のゴールデンウィークにお店が休業になったこと。接客の機会が減ったことは、この時の私にとって救いでした。「お店休業になって悔しいねえ」と上司のひとりに話しかけられましたが、私の頭の中では喜びのファンファーレが絶賛鳴り響いていたのでその言葉には何とも返すことができませんでした。会社としては残念な事態を一緒に残念に思えない自分に罪悪感を覚えたと同時に、問いに対して同意以外の返答はあるはずがないかのような上司の言葉選びと声音が気に障り、言いたいことが音にならない現状に再度傷つき、「あ、そういえば声出なかったね」と半笑いで思い至る上司の言動を、信じられない気持ちで見ていました。

この程度のことで嫌になるなんて私がおかしいのかな。こういうことに耐えるのは、社会では当たり前なのかな。私が心も体も弱っちいからこんなことになってるのかな。会社や上司に対する違和感や不快感は、私が甘々な考え方をしてる天邪鬼だから抱くもので、私の方が間違ってるのかなって、何度も思いました。


そんな時に勇気をくれたセリフがあります。

「(それが私だけの考えだとしても、私が知ってる常識の中での考えだとしても……自分が信じるものを信じるって、悪いことじゃない、よね。嫌だと思うことは嫌だし、おかしいと思うものもおかしいし、変えられない。それがこの世界の常識と違ったとしても、私は私の思うようにしかできない)」
「人間なんて自分の頭の中で考えられることしか考えられないんだから。君は君の頭で物を考えればいい。それが他人に受け入れられるかどうかは別としてね。それは君にしか考えられないことなんだから」

出典:三国恋戦記~オトメの兵法!~|Daisy2|2010|山田花(主人公)、諸葛孔明の作中台詞

まだ見ぬ誰かを想像して、自分で自分を下げるのはやめようと思いました。誰かにとっては「この程度で…」と思われることでも、私にとっては大事件だったんです。無視できない悲しさでした。そう思ってもいいんだって、自分の感覚を肯定する気になれたのは、この2人の言葉があったからです。

無神経な上司、現場で動く人間のキャパを想定していないとしか思えない日々のタスク量、何もかもが直前の連絡、後手後手のトラブル対応、効率の悪いルーティン、終電を逃して残業しても終わらない業務、誤字だらけで文脈もおかしい上司のメール、他の社員の前どころか営業中のフロアで怒鳴り散らして暴言を吐く会社のトップ。

私はこの期間、考えに考えました。これまでに積み重なった会社への不信感の原因、上司の言動の何がそこまでショックだったのか、自分が大切にしたいものは何か。
体の限界がそう遠くない所に来ていることも感じていました。この時の声帯炎とそれに伴った発熱・風邪の症状以前に、前月の3月にも39度を超える高熱を出していたり、その前の1~3月にかけては、疲れとストレスから急性低音障害型感音難聴(低い音域のみに対して聴力が突然低下する難聴)を経験していたりで、自分の体の調子がこれまでにない程おかしいということは分かっていました。

「自分を守れるのは自分しかいない。辞めよう」

そう決心できたのがこのタイミングでした。

会社の空気や上司の価値観に従ってこのまま仕事をしていたら、自分は壊れる。そのとき会社と上司はその責任を取ってはくれないんだ。私のことを想ってくれるのはこの人たちじゃない、この人たちとは働けない。
私のことを心配してくれる友人や家族に支えられて、仕事を辞めたい意思を店長に伝えたのが休業明け直前の5月中旬。紆余曲折あって先日7月31日の出勤を最後に、退職が決まりました。

退職までの間も考え続けていました。この会社の何が私にとって良くなくて、そんな中でもこの会社で私が掴めたものは何だったのか。それを踏まえて次はどこに行くべきか。
辛いことも、もう無理だと思ったことも数えきれなかったけれど、上司はともかく現場で一緒に働く社員には恵まれていたし、出会えて良かったと思えるご縁もありました。新卒で入って、周りから求められる社会人という高いハードルに恐れ慄いていましたが、それでも私はなんとかやっていけるという自信が少しつきました。
ただ、やっていく場所はここでなくても良いとも思ったのです。一緒に働く人は好きだったけれど、会社の舵取りをする上の人たちがすっかり嫌いになっていました。

このまま会社に使い潰されるくらいなら、自分の心から好きなことをやっておきたい。常に余裕のない状態で毎日、何も悪いことをしたわけじゃないお客さんを呪いながら仕事をして、そんな自分をさらに呪って嫌いになるくらいなら、絶対ここから離れた方がいい。

…と、いうわけで。最後までバタバタで、例に漏れず終電に飛び乗ったところで、私のひとつめの仕事は区切りとなりました。

そして!今私はやりたかったことのひとつ、書くということを始めました。楽しく、続けていきたい。

これからが私たちのはじまり

ひとつめの記事は、この辺りにしておこうと思います。

辛くて大変だったけど、得たものもありました。会社を辞めることになって初めてわかったこと、頑張って良かったこと、出会えて良かった人。そういうものを少しずつまとめて、荷物を整理して、背負ったら、次の旅を始めようと思います。まだどこに向かうかはわからないけど、期待に胸の高鳴る方へ。怖くても、少しでもきらめくものを感じた方へ。辿っていけば、きっと私をもっと好きになれる。きらきらできるって信じたいから。

働いた中で感じたことの他に、私の記事では趣味の話もたくさん書きたいと思っています。大好きな本、大切なセリフ、興味の尽きないキャラクター、心を掴んだ音楽。そんな私の宝物をひとつずつ、大切に取り出して、磨いて、また宝箱にしまうような、そんな記事を書きたいです。

久しぶりの夏休みのはじまり、楽しむぞ!

これからよろしくお願いします。

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