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聞かせて、苅宿先生! 大人のまなびって何ですか? 

WSD(青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム)が一期生を迎えたのは2009年のことでした。WSDを立ち上げたのは、カーリーこと苅宿俊文先生。小学校教員を経たのちに大学教員として長年教鞭をとってこられた苅宿先生が、なぜWSDという「大人のまなびの場」をつくるに至ったのか。そして、苅宿先生が考える「大人のまなび」とはどのようなものなのか。ざっくばらんに話を聞いてみました。
 
青山学院大学社会情報学部プロジェクト教授:苅宿俊文 Kariyado Toshibumi

ー先生が社会人向けの講座としてWSDをはじめられたのは、どのような経緯があったのでしょうか?

大学教員は26年目(2023年現在)になりますが、その前に18年間、小学校の教員をしていたという歴史があるんですね。実はその当時から、教師という大人の教育には携わっていたんです。テレビに出たり、本を出版したりしていた経緯があるからなのか、教師教育を任されるようになり、加えて校内研究を担当したり、外部の講演会や保護者やPTA向けの研修に呼ばれたりもしていました。そのころから大人を教えることはおもしろいなと思っていたということが、まずひとつとしてあります。それはなんというのかな、ある種凝り固まった、一筋縄ではいかない学び手に対峙するおもしろさとでもいえるでしょうか。

なぜワークショップかというところでいうと、こちらも小学校教員時代からずっと子供向けのワークショップをやっていたという経緯があります。1990年代にワークショップというものに出会い、2001年に教え子たちと立ち上げたのが「NPO法人学習環境デザイン工房(※)」でした。「子どもに対する創造的・芸術的な活動を体験する環境の提供」を目的としたこのNPOを中心に、動画やアニメをグループで制作するといったメディア表現系のワークショップをいろいろな場所で行ってきたんです。

そうした活動を続けるうちに、ワークショップというものをさらに広めていきたいと考えるようになりました。広めるというのとは、ちょっと違うかな。これがワークショップだと思っているものを世に問いたいという感覚のほうが近いかもしれません。しかも、その際には自らワークショップを運営できる人を増やして、ボトムアップで広げていくことが大事なのではないかと考えたんです。

WSDをはじめるころはちょっとしたワークショップブームだったので、ワークショップなるものを”教える”人たちもいたんです。ただ私は、ワークショップというものは、”教える”というより、ワークショップそのもので”まなぶ”方がいいのではないかと考えていました。

というのも、教師教育のときに感じていた「型にはまっていこうとする」大人たちの姿が脳裏によぎったからです。一方で、NPOにはたくさんの教え子が関わってくれていたのですが、彼らのファシリテーションを見るにつけ、千差万別のそれぞれのスタイルがあるということのよさを実感していました。ですから、どうしたってにじみ出てくる個性というものにもっと着目し、大切にしながら、ワークショップを運営できる大人を育てていけたらと考えたんです。

ー開講時、学びたいと門をたたいてきた大人はどのような方が多かったですか? それは今も変わりませんか?

開講前は、学校の先生や美術館のキュレーター、社会教育系の方などが多いのかなと想定していたのですが、ふたを開けてみて感じたのは、もっともっといろいろなところで、ワークショップデザイナーという存在が必要とされていたのだということです。

とくに開講して間もないころは、想定していた教育系はもちろんですが、アート系のワークショップを手掛ける演劇や美術、音楽界のアーティストの方が多く来てくれた印象があります。そこから期を追うごとに、驚くほど多様な職業、属性の方が受講をしてくれるようになりました。

例えば、一般企業の方もかなり増えています。人材教育や組織開発はもちろんのこと、事業開発や企画、営業などの場面においても、ワークショップが有効な手段と認識されるにつれて、さまざまな職種の方が応募をしてくださるように。加えて、医師や看護師、理学療法士などの医療系の方、地方創生などに携わる地方自治体や地域おこし協力隊の方、国際支援を行うNPOや性的マイノリティの認知を図るNPOなどの方、過去には僧侶がいらしたこともあります。

ただ一見まったく違うように見える職業も、すべてコミュニケーションが基盤となるものばかりです。ワークショップデザイナーは、「コミュニケーションの場づくりの専門家」。つまり、コミュニケーションが必要とされる場所であれば、それはすなわち、ワークショップデザイナーが活躍できる場であるということです。さらにいえば、こうした受講生の多様性こそが、WSDのまなびを形づくる大きな魅力のひとつとなっていることは確かです。いろいろな世界で活躍する受講生、修了生の話を聞くたびに、いつもこちらの方が勉強をさせてもらっていると感じますね。

ー苅宿先生は、「大人のまなび」をどのように捉えていますか? 

よく大学生に「大人になるってどういうことですか?」と聞かれるんです。そこで私はいつもこう答えています。「○○ができるというように、できることに着目するのではなくて、これだけはやらないと自分で決められるのが大人。自分を律することができるようになるのが、大人になるということ」だと。そういう意味では、大人のまなびは、自律的な人のまなびという言い方もできると思います。

子供の学びとの比較で考えてみますと、子供の学びは社会に出るための準備運動です。量の多い少ないは関係なく、みんな準備運動をして社会へ参加していきます。社会に出たあとは、いわゆる学校の先生はいませんから、自分で自分のことを考えないといけなくなる。自分で自分の可能性みたいなものを見つけていくことが大事になっていくんです。あの人に言われたからとか、社会的な要請があるからとか、そういうことではなくて、あくまで自分のなかで自分が感じることを大事にする。ですから、仕事で必要だから情報処理を学ぶというのは、大人のまなびではないと私は考えます。それは、あくまでも専門性の学びです。

自分がおもしろいなと感じることに目を向けて、それを持ち続けることが大切なのではないでしょうか。おそらく自分に興味を失ったらまなぶ意欲も失うのではないかと思っています。何をおもしろいと感じる自分がいるのか、自分自身に興味を持ち続けること、ある意味、自分のことを大事にするということが、大人がまなぶということではないのかと私は捉えています。

ただ、大人というものは、どうしても社会の中で求められる役割やしがらみにとらわれて、自分の考え方さえも定型的になってしまいがちです。さらにいえば、そうやって凝り固まってしまった自分自身に気づくことも難しい。ですからWSDでは、凝り固まった大人たちの「まなびほぐしの場」であることも重要なテーマとしてきました。大人たちが多様な他者とのコミュニケーションを通して、自身の”当たり前”が当たり前ではないことに気づき、多元的な社会の中に存在する自分自身を改めて認識し、再評価をしていく。それもまた、大人のまなびの大切な一面として私は捉えています。

ー先生、ありがとうございました!

(聞き手)WSD事務局スタッフ

(※)2023年度にNPO法人は解散いたしました