見出し画像

イベントで学んだことについて

広島文学フリマに参加後、なにをしたいたかというと職場が地獄になっていたため、至急の呼び出しに応じて連勤キメてました。私の休みを返せと内心思いますが、もう仕方ない!
おかげさまで原稿がすすんでなかったりいろいろとありますが、ひーひーいいながらもなんとかしてます。
今回大阪文学フリマまで申し込みを終了しております。

実は今年のはじめから文学フリマには東京と大阪には出る予定でした。理由としては、友人たちがいること、が一番大きな理由なんですが大きなイベントはイベントでどんなものか体験してみたいというのもあります。単純に人が多いと本に求めるジャンルについても多岐にわたるので、私の作品も手にとっていただきやすいかなというのが素直なところです。

広島文学フリマは大勢の人にきてもらったし、声をかけたり、買っていただけて嬉しかったです。
今回の文学フリマの申し込みや新しい本を作るお金は、その売り上げから出せさていただいてます。
実は売上、どうしよう……と悩んでいたのですが、大阪のイベントに申し込むのと新しく本を刷るためのお金として使わせていただこうと決めました。
そのとき、私自身が スッ…とあ、これは許されてるなという気持ちになりました。
許されてるというのは、次に作る本やイベントに参加してもいいよ、と背中を押してもらっているお気持ちです。

たぶん、創作者だとわかるんですが、私たち作り手は誰かに許されたい気持ちが強い生き物なんだと思います。それはたぶん結婚していようと、してなくても、子供がいようと、いまいと、何かを強烈に自分として残したいという欲があるんだと思います。それは一次、二次にもあんまり差はないとは思いますが、二次についてはジャンルによって売れる・売れないとか流行によって売上で生活している人もいるので一概には言えないけれど、文学フリマについては文章だけで表現する人たちが集まって、さらに買いたい人が集まっているので、それはもう狂気の沙汰の情熱じゃないかといっても過言ではないと思います。

絵や漫画はもちろん大変なんですが、文章って読むのに時間がかかる、作るのにも時間がかかる(紙とペンがあればできるというけれど!) それを売りたい人と買いたい人が集まるイベントって恐ろしい狂気だなぁという誉め言葉です。
以前エロ小説をどうして書くのか買うのか――ものすごく時間かかるのに、どうしてエロ漫画ではなくてエロ小説を読むんだよ、というのでそれでしか味わえないものがあるから、という回答をちらりと思い出しました。

読み手に届けたいというのは 結局は許しの世界な気がしました。私はこれ以上の語彙がないため、許しといいますが、認められること、自分の好きなものを広げたい、情熱を燃やしたい、というのもいろいろとあると思います。私にしっくりとくるのが許しなので、この言葉をあてはめています。たぶんいろんな形があるんだと思います。
私は創作の知り合いは「消費するための人にならないで」と言われて、その言葉をいつも考えたりしてます。消費するだけというのはたぶん純粋な書い手で、感想とかも書かないし、言わない人もこの世にはうんといるんだと思います。作ることを一度ちゃんとやっている以上はそれを捨てないでほしいという祈りの言葉なのか、呪縛なのかはわからないけれど、消費する人というのもこの世には必要だとは思います。その人たちが経済をまわし、存在することで私たちのことを許してくれているので。
感想はパワーだし、支えになりますが
お金という物理には勝てないんですよね(汚いこというと)
文学フリマの人たちって、みんな赤字だけど、それでもこういう許しと、次のとき、売れたお金をあてることでちょっとずつ許されて次の出会いをさせてもらっているのかなぁと私は思います。私は今回、買ってくれた人のおかげで次の出会いに踏み込めるので。

イベント参加していろんな人に会って、私はたぶんすごく恵まれているのだと思います。いろいろとありましたし、いやなこともありましたが、結果的にすごく楽しい思いをして、本も買っていただけたので。それは大変恵まれているのだと思います。ありがとうございます。

なのでもしかしてら見ているかもしれない、見てないかもしれない、そんな私の本を買ってくれた人へ
みなさんのおかげで次のイベントも参加します、本も売ります。よかったら、また出会ってださい。そしてお手に届いたとき、すぐでなくていいです。本はくさらないし、なくなることもない! いつか、あなたが読んで元気をもらったり、よかったなと思っていただけたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?