ちよじちゃん
R18です
音楽と美しいものが大好きなゲーム会社で働いてるちゅらいさんです。ここでは自分が好きな音楽、その理由について考察(音楽理論や文化的な背景をベースに)なんかをしていきたいです。まったりやります。たまに自分の曲の紹介、DTMプラグイン、よかった映画やアニメの話もするかも。 ☆活動としては 作曲、ギター、ピアノ、オルガンの演奏、DTMなど、、SF小説、イラスト、アニメ制作、プログラミングなんかにも興味あります。 ☆音楽歴 小学校の頃は近所の教会でクラシックギターを弾いてました
その年のケーニヒスベルクの冬は寒かった。アルルは震える手をポケットの中に入れながら、川に掛かる橋を渡り、家へ帰る途中だった。パン屋さんの娘だった。でもライ麦パンが嫌いだった。だからずっとパリに憧れていた。パリのパンは美味いんだろうな、とずっとそんな妄想にふけていた。本を読むのが好きな彼女は学校から家に帰って、少し店のお手伝いをすると、残りの時間は上階にある自分の部屋で、暖かいコーヒーを飲みながら眠くなるまで蝋燭の火のもとで本を毎晩読んでいた。 ある雪が降り続ける寒い日の早朝の
入院するまで 2023年夏、人間関係でトラブルが重なったり、借金が重なったり、その上に詐欺にあったり、更に更に追い打ちをかけるようにやってるバンドが半崩壊しそれに伴う立て直しに起因するストレスなどで鬱状態になり、30歳の誕生日を迎えた8月のある日に心が壊れました。理性的には死にたかったわけではないのですが、抑えられない希死念慮と、孤独等からこれはヤバいと思い…でもSOSを誰かに発信する気力もなく、この程度では死ねないことを理解しつつ某睡眠薬を40錠ほど飲み、自ら救急車を呼び
私は作曲家だ。なので音楽をつくることはとても日常的な行為のように思える。すなわち、どんどん工程が洗練されていき、感情のブレに左右される割合は減っていき、良くも悪くも安定したものとなっていく…はずである。だが実際には音楽を作り始めて年月が経てば経つほど不確定要素に自分の音楽の良さが依存していることに気付き始め、気付いたらちょっとだけ病んだ気分になったりする。 そもそも音楽にはあまりにもたくさんの種類が存在する。音楽の3要素はメロディー、音色、リズムだが、ジャンルごとにそれらの求
もうバンドマンであることを辞めたい。バンド社会は縦社会で、かつて堕天使としての日々を送ってた僕を赦してくれる人はほとんどいない。音楽を見てくれ(僕を見てくれ)、音楽を作るキャラクターとして僕を消費しないでくれ! 曲が書けなくなってしまい、終電で九十九里浜へ僕は汽車で向かってる。東京から約3時間、小さな田舎町で僕は汽車を降りた。タクシーに乗り、とりあえず海岸へ向かった。 日付が変わり、月が輝く、誰もいない僕だけの海。太平洋、耳をすませばカリフォルニアの夢が聞こえてくる。砂浜
遠くの国で一人の少女と出会った。 夢の中かもしれない。 湖畔にはブラックホールがあった。 幽霊なのかも知れない 東京は栄華を迎えていた。 そしてまた僕は眠る。 気付くとそこは誰も見たことがない島。 僕の住んでる街。 よくわからないポスター、僕が狂ってるのか… ここはどこだ (全ての画像はmidjourn
私の名前は「歌夢ナナ」です。魔法が使えます。 ある日、魔物が街に攻めてきました。ロケット弾とか機関銃で友人達を沢山殺しました。血まみれの隣人、足を失った老人、破壊された公園、孤児。私は悔しい、でも私の魔法は非戦闘タイプ、音楽の魔法です。 悲しみを量子ピアノの即興演奏で歌う。人生って何なんだろう、私は恋がしたいお年頃。大好きな人を抱きしめたい、大好きな人って誰のことなのかわからないのだけど。 学校や仕事で真面目におとなしくしてれば人生は昨日まで安泰でした。今日は違う。告白
女の子、その名も女の子。私は女の子。少しまどろっこしい言葉でふわつく、サイレント。広がるかもしれないおもむき、映写機。彩りハムスター。映画館にいる、広がる星空に、浮かび上がる、コンピュータアラート。 困惑西京極、アン・ハサウェイ。苦しまない、流れる、自然でとてもリラックスした言葉。知識は円環、閉じてる、私の中では。 ラヴェルのピアノ曲を聴きながら女の子は思考を言葉にする。極めてリラックスし、上級者のヨガのように、力みのない言葉をノートに書いた。私は今喫茶店にいる。 俯瞰
遠くへ行きたいな。 ジョージアとアルメニアの境にボンボンフスタンという国があります。面積は岐阜県高山市くらい、人口は杉並区くらい。気候は気分によって亜熱帯からステップになったりします。ボンボンフスタンの人はみなエスパーでテレパスです。物価は名古屋くらいです。 3年前、私はボンボンフスタンに行きました。全然まともな場所じゃなかったです。インフラは壊れてるし、銀行には強盗がいっぱいいるし、ガソリンは灯油だし、ロクでも無い。 首都のバボガドまでは成田からウルムチ経由で行けます
マジで草w
精神の分裂が続いたため、私は先日まで択捉島にある平和団体の施設で療養の日々を送っていました。いろいろ大変なこともあったけど、結果的に荒廃してた私のこころの中のメルヘンは緑の輝きを取り戻し、無事精神的冬眠後の五月病DAYSな状態になることができました。その療養の日々に私が考えたことをここで共有したいと思います。 施設で療養を受けるきっかけとなる分裂を感じ始めたのは、五年間付き合っていたナナちゃんとスコットランドのとあるエスチュアリーで光る馬を見たときでした。馬はエスチュアリー
おはようございます、私は中国四川省からやってきたマリモです。日本は住みやすい国ですね。毎日鳩に大麻をやったりする毎日はほんと素晴らしいです。 ガンギマリの七夕ソング聴きながら中央総武線で錦糸町から西荻窪へ向かってるなう。隣のおっさんがドアーズの音漏れしてます。千駄ヶ谷はクネクネ、創価の街よりフラフラと。高円寺で人身事故起きたので電車を降りました。 古本屋にはアヒル料理の中華料理屋の店長がいました。おはようございます。スラップハッピーとかが好きです。 裏中野は火葬の匂いで
レナは1993年8月に海辺の街で生まれました。精神が不安定になると国立医学研究所から盗んだ麻酔薬(ケタミンやバルビツール)を自己投与し冬眠する癖があるためこの歳です。言葉を話せないことからエスパーの素養があり、ブラウン管にサイケな模様を念力で映し出したりし、親戚からドン引きされる。8歳の頃、パパからWindows2000のパソコンを与えられ、一週間後にC言語でトロイの木馬をつくる。 9歳の頃、駿台の東大模試を受け、A判定を取る(エスパーでカンニングした)。他にも宅建、応用情
ほんとに疲れ果てた日、ほんとに疲れてるのかどうかもわからなくなりました。たぶん自分だったものが発する虚しい言葉の感情的意味がわからない。思考することが辛い、論理式が痛い。けっこうダメなのかもしれないが、よくわからない。 小さく、確実で、淡々とした漸化式を朝から晩まで解いていたい。古代の生き物のように機械でいたい。 歌が歌えない。何も知りたくないし、否定したくない。毎日吐きそうだけどなぜなのかわからない。適度に遊ばないと狂人と思われるのでときどき娯楽を嗜む。壊れてしまいたい
正月前後の数日間引き籠もって、恐らく役に立たない個人サイトをテキトーに作ってました。それが意外にもけっこう楽しかったのです。テキトーにつくるとは言っても単純に手抜きなだけなワケではないです。今気になる技術はきまぐれにつぎ込んだり(FlaskとかAjaxとか真面目にSQLインジェクションの対策したり)。でも意識は絶対に低いそんな端から見たらツッコみづらい、そんなのを作ってました。 初めからこのサイトで金儲けする気なんて一ミリもない(アクセス数を稼ぐ気もない)。落書きなイラスト
一回レールを外れ、 そのあと反省しました。 そのあと数年間はけっこう真面目に頑張ったつもりです、 しかも本気で。 でもダメだった。 京都大学に受かることはできても最低賃金以上稼ぐことは無理だった。 俺が今回全てを終わらせようと思った理由はこれにつきます。 なんなら、 頑張れば頑張るほど変に期待だけされて(暗黒のトンネルをようやく抜けれたな、 とかetc)、 現実との差で泣けてきます。 大切な人達はみな俺が一人で暮らせる能力がある、 それどころか社会的に優れた人間になるポテンシ