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依存恋愛の後遺症

私はついこの間まで依存関係にあった。
いや、関係というと相手も、となるから
私のみ依存をしていた、が正しい。

相手はそんなことはなかったのだから。

お別れしてかれこれ17日 
1週間くらいしてふとふっきれた。
それは確かにそうだった。

もう連絡を待たなくなった
期待もしなくなった
なにをしていたとしても気にならなくなった 
こちらからなにか連絡しようとは思わない
その後彼がどうしていたとしてもかまわない  

それは強がりでもなんでもなくて
本当にそうなのだけれど…… 

ふと、いつも通話していた時間に
思い出してしまった。
声を、話した内容を、楽しかった時間を
思い出してしまった。

楽しかった事ばかりではなかった。
けれど、やっぱり楽しかったんだな、と
改めて思った。
他の人とでは、ここまでやれなかった。
今、他の人と同じような時間を過ごせるか、
過ごしたいかと言われたら、それはムリだ。

涙が出て、久しぶりに泣いた。
あーまだ、こんなものかぁと思った。
ふっきれはしたし、納得もしてるけれど
一緒に過ごした時間は、私の中で簡単には
消えない。

これもまた依存の後遺症なのかもしれないなと
漠然と思った。

苦しいこともあった。
お互いケンカになってギスギスしたこともあった。
イヤな言葉を投げかけもしたし、逆もあった。
おそらく向こうは私のことは好きでもなんでもなかったけれど、それでも、それでも。
私に費やしてくれた時間や労力に嘘はない。
例えばそこに、思惑や目的があったとしても。

私は私で離れられなかったのは
やっぱり、特別な存在だったからだ。

改めて考えても、特別な人だった。
手のかかる子ほど……と言うけれど
本当にそうだ。手のかかる子(人)ほど
可愛かったのだ。

うん。
楽しかった。とっても。

その後の事はなんにも知らない。
楽しくやってるとは思う。
それを、どうこうとはもう全く思わない。

なんならもう忘れられてるかもしれない。
それならそれでもいい。 
私と同じでなくていい。

ただ、たまぁに、こうやって楽しかった時間が
私の心にじわじわと迫ってくる。
その度に私は、揺さぶられてしまう。

けれど、“ちゃんと”終わっていることは
間違いないのだ。

これは前述した通り、依存の後遺症。

でも、これがじわじわ迫ってくるものではなく
いつかキラキラした、あるいは懐かしくて
いい意味で胸を締めつける思い出になればいい。

一緒に過ごした時間や月日がそりゃ17日やそこらで
済むはずはなかった。
自分の性格からして、全ての整理には少なくとも同じ時間、月日はかかるかもなと今はそう思っている。

そして、それにしたってずいぶんとメンタルが今日は
ブレているな、涙まで出るなんて……生理前か?と思ったら、やっぱり生理前だった笑。

依存したあとは終われば苦しいとわかってはいた。
そしてやっぱりその通りだった。
覚悟の上の事なのだ。

だからしっかりとこの痛みを受け止めて
正しく苦しもうと思う。
これが私のしたことの代償なのかもしれないから。






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