#254 演じるの世界①
こんばんは。ユニークさ開発ナビゲーター 青木 瑞恵です。
演じる世界、ということについて、私の中で思うことをつらつらと書いてみます。
って、タイトルに①ってあるので、「演じる世界」に関する何かしらが、ツラツラっと今週金曜日まで続いて書くかなぁと。
毎度毎度、私の中であれやこれやをポヤポヤと書かせていただいています。
が、時々お伝えしている通り、noteでの書き散らしは、私の中では【ユニーク】ってことにつながる、と思っています。
私は心理学を勉強してきているので、劇場というものをキーワードとしても人間の発達や心理といったものをすこぉしは理解してきたりしています。
そうした時に、人間の学習の始まりは、演技だなぁなんて思ったり。
どういうことかっていうと、「真似る」ことから赤ちゃんは何かしらを身に付けていきますよね。
何らかの動作や表情に意味がある、と理解して、それを真似ようとする心の動きというか。
発達の段階というか。
生まれたその時から、ひとって基本的に「自分でないなにか」を常に追い求めているものなのかもしれませんね。
そうして、保育園や幼稚園に入学して、お遊戯会などで披露する最大のパフォーマンスは何か?
演劇
じゃないでしょうか?
わたし自身も、幼稚園の時のお遊戯会の写真を見ると、なんかよ~くは分からないけど、ステージで演じています(笑)
完全に端役というか、そもそも人間ではない的な役ですが・・・
(全員出演!が基本だから、木とか花とかもすべて園児がやりますよね)
発達段階的に、自分たちで創り上げるだけの力は完全ではないのだけど、真似っこする分には、十分という感じなのではないでしょうか?
なにより、みんなで力を合わせて、ひとつの何かを創り上げる、という意味でも、かなりダイナミックで魅力的な活動なのでしょう。
正直、今の私は記憶はおぼろげで、みんなと協力したっていうよりは、先生の言うとおりにした(笑)が強いですけど、
他のみんなの動きを見ていたりとかしていた記憶はあります。
また私は内気な子どもだったので、活発な子であれば他の子にもどんどん関わっていっていたかもしれません。
そして、未熟なりに役になりきるということは、その役の気持ちになり切るということです。
他者への理解を育てるきっかけなのかもしれません。
木の役であった時、手を伸ばすことで木の枝を表現したり、じーっと立って両足をそろえることで、木の存在を自分に感じ、その姿勢から何かを理解するわけですよね。
未熟だと、じっとしているのが辛くって動いてしまったり、自分が木というのをよく理解できていなかったり・・・。
どれだけ気になり切れるか!?というのは、発達段階やパーソナリティ(性格や特性)といったものの発揮になるのかもしれません。
ここまで書いたことは、私の理解です。
心理学で発達心理学を専門にしていたり、演劇がもたらす効果などを勉強されている方にとっては、
私の勝手な理解など生ぬるいって言われそう( ̄▽ ̄;)
思い返して書いているだけなので、そこはご容赦を。
「演じる」っていうのは、それくらい人間の根源的な何かにつながるのかもしれない!と大きな発見がありました。
根源的な何かにつながる・・・わけで、その情熱をかたちにしようとした集まりに、現在、私、関わっております。
団長こなっちゃんが立ち上げた【劇団アンリミテッド(仮)】
旗揚げ公演が2週間先に近づいています。
みんなほぼ素人です。ちなみに私は裏方・・・( ´∀` )
6月27日(日) 第1部・第2部内容は同じで演者が異なります。
第1部 10:00-
第2部 11:00-
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