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月の湖

もしも月がただの荒涼とした岩の塊だとするならば、
地球を照らす月光が、あれほどまでに濃密なはずががない。

太陽が落ちれば夜は漆黒の闇となり、
天空の浮き上がる月明かりと、さんざめく星のまたたきのほかには、
灯一つ無かった時代では、
人間は夜になれば家の中でわずかな行灯の灯の中で、
ひっそりと静かにこもっているしかなく、

その代わりに、外の通りには百鬼夜行が通りゆき、
昼間人々が集う場所は魑魅魍魎の集会場と化していたはずで、

そして家の中でも、行灯の灯が行き届かない場所では、
座敷童子が膝を抱えて座り、
人間の男と女の情交の一部始終を見つめていたのかもしれない。

人々はそんな夜の世界に闊歩する妖怪たちに敬意を表し、
そこに夢という情感を膨らませていた時代が長く続いてきたはず。

そんな暗い夜の時代の男と女の情交は、現代の灯のあふれる次代とは全く違い、
さらに濃密な情念が夜空に舞い上がっていたはずで、

今よりももっと明るく天空を照らしていた月にその情念が届き、
その湿度の高い女の情念が月の表面に触れて水となり、
そこに情念の湖ができていたとしてもなんら不思議ではない。

何世代にもわたる、星の数ほどの人間の情交のたびに、
女の情念が夜空に立ちのぼり、月に到達し湖となり、
そしてそのしずくが地上の多くの恋人たちを引き寄せる妖しい光を生み出している。

現代社会は灯りが眩しすぎて、
座敷童子も魑魅魍魎も百鬼夜行も、
今は月に引越しをして、
女の情念がたまったその池を守っているのだろう。

情交に打ち震える女たちの情念が天空を立ちのぼり月に届き、
その表面に届いた時に水となり、やがて湖となる。

地上から見えないその湖があるから月は単に太陽の光を反射させるだけではなく、
自らがほのかに輝いているかのように見え、
そして幾世代にもわたる女の情念がたまった湖が、
地上から月を見上げる女の心を揺るがし、
情感を溢れさせ、さらには女の体の周期まで司る。

月の湖。
今宵も空で妖しく輝く。



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