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アニメ『推しの子』6話炎上に見る表現規制反対派による不謹慎狩りへの不充分な認識

アニメ『推しの子』6話が炎上した。

作中には、恋愛リアリティ番組に出演した黒川あかねという登場人物が、番組中での言動をSNS等でバッシングされ、自殺を試みたところを主人公に助けられるという展開があった。

これが、恋愛リアリティ番組『テラスハウス』に出演していた木村花さんが番組中での言動をSNS等で非難され、2020年5月23日に自殺と思われる死をとげたこととの類似と指摘する者が出現。花さんの母である木村響子氏に告げたことで、響子氏が『推しの子』を批判したという流れだ。

この件に関しては、あかねと花さんの事例では相違点が多数あるとか、もっと別のエピソードに似た事例があるとか、きっかけがきっかけとはいえ『推しの子』批判側にも擁護側にも問題が見られるなど多数の話題が上がっている。だが、ここでわたしが触れたいのはそれらの件とは別の内容だ。

わたしはいわゆる表現規制反対派なのだが、〝表現規制反対派を称しつつアニメ漫画等の自由にしか興味がなく時には他の表現を軽んじて規制を推進したり、むしろその言動がアニメ漫画のためにすらなっていないような人達〟エセ二次オタと呼んで批判してもいる。

『推しの子』6話に関連して指摘したいのは、そこに纏わる。

エセ二次オタは、「二次元さえ自由なら三次元(現実や実写表現)は規制していい」的な主張を行うことがあるためだ。

彼らには、アニメ漫画等のいわゆる二次元規制の話題をメディア効果論に基づくものに纏めたがる傾向が見られるからだろう。

メディア効果論とはフィクションの悪影響論であり、それが犯罪を誘発するなどの主張だ。現在のところこの議論は、「悪影響は僅かにあるが他のきっかけと比べ特に多いといえない」とする限定効果論が優勢である。フィクションを規制したところで、その程度の影響で何かしでかすような人は他のきっかけでも何かをしでかすので無意味、といった状況だ。

これをもって、フィクションである二次元表現は規制の根拠に乏しいからそうした言論は否定できるというわけだろう。

だが、『推しの子』6話の炎上がメディア効果論に基づくものでないことは明らかである。これはいわゆる〝不謹慎狩り〟を理由としており、エセ二次オタの主張が誤っている理由のひとつだ。

現実の規制が増え問題視されることが増えれば、創作でも不謹慎論で叩かれる描写が増すという当たり前の話である。

今回の出来事がどこまで発展するのかはまだ不明瞭だが、例えば2000年放送のアニメ『学校の怪談』では第3話の口裂け女の出てくる回が、口唇口蓋裂の団体からの抗議を受けて放送さえされなかったことがある。これはDVDにすら収録されていない。

一方で、同例にはある種の対策も見えてくる。口裂け女のフィクションは、『学校の怪談』前後も普通に製作され公開されているものも多いからだ。

抗議されるか否かの違いは大きい。

『推しの子』からして、一話目のアイドル的な活動をしている女性がファンを称するストーカーに襲われるという筋書きで似た事例は現実に起きている。この時点でも誰かが抗議をしていれば、やはり問題になっていただろう。

しかしありとあらゆる事件が起きているのが現実で、それを避けていればフィクションなど作れなくなってしまう。抗議されるか否かも運任せなのかとも思えてくる。

ただ一つ言えるのは、ある事柄に係わった当人同士が満足していて何ら論理的化学的な問題がないのに犯罪化されている〝被害者なき犯罪〟のような現実の規制は、ないほうがフィクションにとってもいいということである。

何ら論理的科学的な問題がない描写なのに、それが犯罪化されているからというだけで不謹慎な描写となり叩かれるなぞ、全くの無駄であろう。

そう、「二次元さえ自由なら三次元は規制していい」なんていい加減な態度はよくなく、三次元でも不要な規制はない方が二次元にとっても当然いいのである。

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