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じゃがいもとワンネス

小中学校と
親の事情で
祖父母宅の近くの学校に通っていた。

朝は自宅から登校し、
放課後は祖父母宅に帰宅した。

おやつはいつもたくさんあったし、
テレビはいつでもついていて、
一年中こたつがあった。

もういまは
取り壊してしまった祖父母宅だけど、
記憶に真っ先に浮かぶのは、
こたつと
こたつの上のおやつと
こたつに座る祖母の、
6畳の畳の部屋に
ぎゅっと詰まった
あたたかい光景だ。

第六感があった祖母から、
科学的根拠はなさそうな
感覚的な、
先人の智慧のようなはなしをよく聞いた。

そんな祖母は
南瓜が悪くなる(いたむ、腐る)と
膝が痛む、
と言っていた。
(気づきは逆に起きるのだけれど。
 膝が痛む→南瓜が悪くなっている)

わたしは、
なぜか、
じゃがいもがいたんだり、
芽をだすと、
原因不明の頭痛や熱が出た。

だから、いつも、
体調万全なのに頭痛が続いたり、
微熱が続くと、
真っ先に、じゃがいもを疑った。

そして、
そんなときはたいてい、
祖父母宅か自宅の
貯蔵しているじゃがいもが
いたんでいたり、芽を出していた。

処理すると、治まった。

そんな
笑っちゃうような
信じがたいできごとだけど

わたしにはリアルだった。


ずっと忘れてた、
そんなじゃがいものことを、

「わたしという認識を
 個を超えて
 わたしが認識するものに拡大して
 捉えたら?」

というはなしをきいて、
10年以上ぶりに思い出した。


あのころ、
わたしもじゃがいもも、
ひとつの、互いに含まれるものとして、
あたりまえに在ったのだと、

わたしは体感を通して
知っていたのかもしれない。


あのとき説明がつかなかった、
友だちに話せば誰もが笑ったはなしを
いまならうなずける。


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