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美しいものは光っている

蓮の花を観たい、なんて、
これまでの人生でそこまで熱く思ったことはなかった。
けれども。

蓮の花を観に行ったという話を立て続けに見聞きして、
わたしも観てみたい!!と、
久しぶりに、むくむくむくと、
何とも言えない感情がわたしの中から沸き起こった。

いま我が家にいるお蚕さんのおかげか、
自然へのアンテナが、いつもよりも広がっている状態なのかもしれない。

そうしたら、いつもは乗らない路線の中刷り広告で、
蓮の池へ蓮の花を観に行くツアーの案内が出ていた。

ツアーには参加しないけれども、
その蓮の池へ、行ってみることにした。

超朝型のわたしには、特別な早起きは必要なく、
朝ごはんのおむすびを持って、
まだ静かな街を抜けて蓮の池へ向かった。

早朝にもかかわらず、
蓮の池は、蓮の花を観る人たちでいっぱいだった!
こんなにもたくさんのひとが、
この季節、蓮の花の開花を持ち望んでいることに驚いた。

そして。
目にした蓮の花は、
とてもとても美しかった。

ことばが出ないほどに、
とてもとても美しかった。

大きな葉も、
大きな蕾も、
開き始めた大きな花も、
立派に咲いている大きな花も、
散り始めている大きな花も、
あとに残った花托も、
どれもこれも、
とてもとても美しかった。

いまちょうどその大きな花を満開にさせている花は、
息をのむほどに光り輝いていて、
うそでも大げさでもなく、
本当に光っていた。
なんで光っているのだろう???と
まじまじとよーくよーく見入ってみても、
なぜ光っているのかわからないのだけれども、
でもほんとうに光っていた。

美しいものは光っているのだ、
ただ、そう納得した。

これまでの人生、
なんだかたくさんのものを見落としてきたな…と、
今更ながらに感じた。
でも、いまこのときに見ることができて(間に合って)、
よかった…とも思った。

あ、そうだ。
そう言えば、
ネイティブアメリカンの長老も言っていた。
「この人生の悲劇は、いかにたくさんのことを見落としてきたかにある」と。

あたまでわかるのと、魂が腑に落ちるのは、
全くべつものなんだと、
改めて実感。

お蚕さんといい、
蓮の花といい、
なんだか思いがけず、いつもとはちがう夏を過ごしている。





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